『進撃の巨人』22巻感想ー整理が付かないのでメタ視点で。

アニメ「進撃の巨人」の2期がスタートしました。こちら、やっぱり面白い。

前回の投稿ではコミック11巻~21巻まで一気読みした感想を書きました。わりと批判的な投稿になってしまったのですが、あの投稿直後にアニメを観まして、自分の中で「進撃の巨人」熱が上昇。22巻を発売日に購入いたしました。

 

11巻〜21巻一気読みの感想はこちら。

 

masha01.hatenablog.com

 

 

 

進撃の巨人(22) (週刊少年マガジンコミックス)

表紙がいい!!

まず、表紙がすごくいいですね~!

真っ青な空と海。その海の向こう側を見渡すエレン、ミカサ、アルミンの背中。

逆光を意識した絵がとても綺麗です。

ですが内容について先にさらっと主観による感想を言うと、、、

やっぱりこう、、、アツくなる展開はないです。

 

けどその理由は、考察とかをすっ飛ばして、それどころか話の整理もしないまま一気読みしたせいだと思います。完全に。

考察を交えながら丁寧に読み進めていたとしたら、きっとこの巻は伏線回収や謎が解明された面白い巻になっていたはず!!

進撃の巨人」を一気読みする直前にマンガ「ハチワンダイバー」を読んでいせいもあり、「マジで~~~!!」「すげーーーー!!」のテンションを引きずったままこちらも読んでしまったので、おおよそ作品の楽しみ方を間違ってしまっていましたね。

で、その反省から22巻はじっくり丁寧に読み進めたのですが、それ以前の話が整理されていないため(直近の21巻の内容もあやふや)ついていけなかった。。。

改めて読み直そうと決意した次第であります。

 

内容について、あらすじを書き連ねる気はありません。

純粋に感じた事、整理したい事、疑問を。

 

グリシャやフクロウが目指したもの、そのゴールは何なのか?

普通に考えて、エルディア復権。エルディア人による打倒マーレである事は間違いないでしょう。

しかし気になるのはその終着点です。今巻のラストを見ても、エレンに打倒マーレの思いが受け継がれている事は間違いなさそう。

つまりはこの先、エレン達「壁の民」が大陸へ渡り、マーレとの戦いが描かれていくはずです。

ではその戦いの決着は何をもってなされるのか。

エルディア人の解放?

マーレの壊滅??

巨人の力という一大軍事力を持ったエルディアの国がマーレやその他の国とうまくパワーバランスを取っていく世界を目指すのか? それとも「悪魔の民」との呼称の通り、巨人の力を持ってエルディア人がその他の人類を支配する世界を目指すのか?

現時点では取らぬ狸の皮算用でしかないが、ひとつ、この物語の結末を考える中で疑問に思った点です。

 

ジーク(獣の巨人)やライナーの目的は?

マーレの戦士達も結局はエルディア人です。そんな彼らがマーレに加担する理由は何なのでしょう?

そこには何かしらの密約があるのでしょうが、それは一体どのようなものなのか気になります。

と言ってもジークは元々自分の父と母(グリシャとダイナ)をマーレ側に売った過去があるので、純粋に幼少の記憶からエルディア人でありながらエルディア人を憎んでいるといった節があるのかもしれません。しかし座標をマーレ側が手に入れた際のその後、自分たちの身の安全を確実に約束させ、それを守らせる程にマーレ側を信用できるのでしょうか?

いや、身の安全どころかライナー、ベルトルト、アニも命懸けのミッションを行っている以上、それに足る見返りがあるはずなのだが、それは一体??

 

一点気になるのはライナーの意識の混濁です。

「戦士」「兵士」のあそこです。初見の際はライナーの心の葛藤と、そのままに受け取っていたのですが、もはや何でもありに近い状態の今の「進撃の巨人」を見ていると、もしかしたら人格を移植されているのでは? という疑問が湧いてきます。

仮にそうとして、ではそんな事をするのは誰だとなった時、思い当たるのはジークなんですよね。

彼はどうも操られているとかいった様子は見られないので。

で、結局、ジークは一体どんな目的があってマーレの戦士をかって出ているのか。これが大きな疑問として残るわけです。

 

あ、ライナー、ベルトルトが話していた故郷に帰れない何たらの話は、実際的な手段の話だと僕は考えています。故郷(大陸)へ帰る船がなかったという事だと。しかしジークが船に乗ってやって来たため、一緒に海を渡る事が出来るって話だと考えているんですが違うのでしょうか?

 

ループ説が出てきた今思う事

フクロウ(エレン・クルーガー)は「座標」=「始祖の巨人」について、「すべてのユミルの民はその座標へと繋がっている。空間を超越した『道』でな」と話す。

この、「空間を超越した『道』」という表現や「繰り返すだけだ、同じ歴史を、同じ過ちを、何度も」というセリフ、またその後のシーンでは「ミカサ」「アルミン」の名を出し「誰の記憶だろう?」と語る。

この辺りの描写から(実際にはずっと前からもされているが)「進撃の巨人」ループ説や多重世界説がささやかれている。というかこれは完全に作者はそれを匂わせている。ミスリードかもしれないが。

 

で、僕が思うのは、この話でループにする意味ってあるのかという事。余計に話がややこしくなるだけだし、ループするならループするで、ループありきの展開が序盤から行われて、それが話の核にならない限り、ループを持ち込む意味はないと思う。なので、個人的には(完全にメタ視点からの予想だが)ループはないと考える。

考えるのだが、、、

もし仮に、ループものであったとした時、非常に気になる存在が僕の中に浮上する。

 

まず、この「進撃の巨人」という漫画の中で、もっとも重要なワードの一つに「自由」がある。

今巻ラストもエレンの「自由になれるのか?」というセリフで終わる。調査兵団の「自由の翼」にしてもそう、そもそもエレンは初めから「自由」を求めている。

そして一般論でも「自由」と「選択」は切り離せないものとされる。

この「選択」という言葉もまた、「進撃の巨人」では繰り返えされる重要なワードとなっている。

そしてこの「自由」と「選択」ーー「自由」の「選択」

というのは概ねループものやパラレル世界ものといったSF物語において主人公が迫られるテーマとなるものだ。

 

別にそれを理由にループ説を推すつもりではない。けれどもし、この作品がループものであるならば、この「選択」を主人公であるエレンに説き、迫り、強く意識させるに至ったリヴァイ兵長の存在がかなり重要ではないのかと思うのです。

リヴァイ兵長、もっというとアッカーマン一族と言い換えれるかもしれない、その存在は、作中最強キャラといった駒以上の意味が与えられていそうである。

今までもミカサにしろリヴァイにしろ、エレンの導き手の役をかっていた所はあるが、そんな人間的な関係ではなく、存在的な役目を担っているのではないかと思う。

 

エレン=始祖の巨人=大地の悪魔との契りのように、アッカーマン一族もまた、何かしらの人を超越した存在である可能性があるのではないか?

そもそもアッカーマン一族はエルディア人なのか? という疑問もある。レイス家の記憶改竄を受け付けないのもそういう理由からではないのだろうか。これはケニーが巨人化注射を自分に打っていたら判明したのだが、今となってはもう遅い。

こちらも以前として残る大きな謎の一つである。

 

その他の事を少し

「始祖の巨人」の力(座標の力)はそれを王家の血を引く者が継がなければ発動しない。というのは前巻からの話だが、エレンが以前発動させた元ダイナの巨人と接触時の事や、ヒストリアに触れた瞬間の記憶のフラッシュバックなどで何かを感じたようではあるが、ここはまぁ、あまり考察しようとは思わない点で、続きを待とうかなといったところ。

 

後は、地下室以降、エレンは本来なら他の調査兵と同じくグリシャの書き残したノートから情報を得ているはずなのだが、どう考えても記憶を共有している点について。「私は…」と自分を呼んだ事をアルミンにつっこまれる等、記憶の共有どころか人格の共有の筋が見えてきている。

これをSF的に考えると人格や経験の並列化?? などと考えてしまうのだけどどうなんでしょうか?

 

22巻を読んでザッと感じたのは以上の事。もしかしたら既出の部分で否定されていたり、逆に説明されている事があるかもなので、やはりもう一度しっかりと読み直してみようと思います。

 

なんやかんや、こうやっていろいろ考えていると面白い作品ですね。

 

※23巻発売 が発売!

そちらの感想はこちら。結構この記事の答え合せにもなりました。

 

masha01.hatenablog.com

 

 

 

 

アニメ2期がスタートするとの事で『進撃の巨人』11巻〜21巻一気読み感想

進撃の巨人のアニメ2期がスタートするというニュースを見て、そういえばずっとコミック未読のまま放ったらかしにしていたなと一気読みしました。

10巻までは読んでそいたので、11巻から21巻まで。22巻も間もなく発売のよう。

 

 

 

なんとなくの記憶をたどりながら、ライナー&ベルトルトが鎧&超大型巨人というのがバレたところから。

内容に関する細かな言及はしないが、11巻から21巻までは通して人間対人間のお話。中央憲兵団と調査兵団との戦いがメインとなる。

そして王家の話、壁ができるまで、巨人化の力の話……と、結構話が進んで行く。さらには21巻ではついにエレン家の地下室にたどり着く(やっとか、、、)

そこでエレンパパの手記を発見。過去編に突入する。

まぁまぁ、物語の舞台となっていた世界(壁がある世界)が島で、さらにその外にも世界は広がっていて、、、実は舞台となった島は、、、巨人は、、、と、世界観も一気に広がる!

さらには知性を持った巨人以外にも、登場人物たちとの因果があったり(こういうの結構蛇足に感じてしまうのだが)さらにここから広がりをもっていきそうな展開が続いた。

 

けれども。

 

う~~~ん。。。

 

面白くはないですね。。。

 

うん、考察も何もせずに勢いで一気に読みきった。さらにはそこまで集中して読んでもいなかった? という事を加味しても。女型の巨人編までの緊張感や、これどうなっちゃうの?感も、アツさもトーンダウンしています。

相変わらず調査兵団はバッタバッタ死んでいくし(アルミンも死にかけるし、エルヴィン団長は死んでしまった)、ぐっと熱くなれるシーンもあるんだけれど、この11巻~の流れを「これ、面白いよ~!」と人から薦められて読んだとして、最後まで読み切れるかどうかもあやしいレベル。

まぁ、それ以前の貯金があるから実際には読めてしまうんですが。

 

やっぱり訳も分からない理不尽な(天災のような)存在と絶望しかない状況で戦ってくという、パニック映画的な展開が当時ショッキングで面白かったのに、謎が謎を呼びながらも謎が解明されていく、謎解きといえば聞こえはいいがその実辻褄合わせの物語補完の展開はちょっと物足りない。よく考えられた設定だとは思うし、雑に風呂敷を畳むような事もない。過剰な御都合主義もないのだが。

結局は出オチ漫画だったんじゃないか!? というのが正当な評価なんだと思う。

 

人間対人間の展開がつまらないという感想をよく耳にするが、全くその通り。けど結末を考えた時にいつまでも訳も分からない巨人対人間の話を続けていてもそれはそれでつまらないと思う。着地点がないから。だから人間対人間の話になるのは物語的には正解ではある。

けど、つまらない。

人間対人間の描き方が悪いのかと言えば、、、そうでもない。と僕は思う。

全く予想を裏切られた!!という展開こそないが、後から出てくる情報そのものも、出し方も悪くはないと思う。

 

じゃあ何処が悪いのかというと、、、

これを言ってしまうと元も子もないのだが、さっき書いた通り、進撃の巨人は出オチ漫画でこれ以上はどうしようもないんじゃないかというのが正直な感想。

 

だっていきなり襲いかかって来ては人間をバックバック食いまくる気持ち悪い巨人。訓練中にいきなり芋を食い出す女の子。いきなり主人公が巨人化!? しかも首筋にロボットアニメのコックピット搭乗のように操縦している!

そんな展開に勝るインパクトはそうそうないですよ!!

 

だから結局、この作品は女型の巨人までのとんでもないインパクトに引っ張られつつ、尻窄み感を感じながらもきちんと風呂敷を畳んでいく漫画なのだと思う。

まだ未完結作品ゆえ、さらにこの後度肝を抜かれる超展開が待っているのかもしれないが。(と言いつつ、超展開が来れば来たで作品の価値を安くするように思えてならない)

それでも完結した時に、改めて良作と判断できる漫画になるんじゃないかなと思ったりするのです。

なので、22巻以降の続きも楽しみではあります。

 

あ、一つ。

リヴァイ兵士長の魅力が随分落ちたのが残念。

 

いや、リヴァイ兵士長がダッサダサに描かれているわけではありません。むしろリヴァイ兵士長はすごく人間として魅力あるキャラクターとして描かれています。リヴァイの中の人間味、優しさ、葛藤もすごくカッコ良く描かれています。超かっこいい! 超シビれます!!

けれど、これがまたこの作品の悲劇の一つであるんですが、全体としてリヴァイの魅力はか~~なり薄れてしまった。

人類最強!の絶対的無敵感こそがリヴァイの最大の魅力だった。絶対殺すマンではないが、「修羅」「キリングマシーン」といった形容がよく似合う無機質さが最高にカッコ良かったのに、作品通して一番と言っていい程、その人間性を掘り下げ、そしてそれがいわゆる「カッコいい」男として描いてしまったために、リヴァイはキャラクターとして死んでしまったように思う。

そんなリヴァイがズタボロになり、弱さを内包したままで、さらにカッコいい人類最強の姿がこの先見ることができるのか? 

 

楽しみではあるがあまり期待はしない。

 

けどアニメ2期には期待してます!!

 

 

進撃の巨人(22) (講談社コミックス)

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【映画感想】大切な情報はケツに隠せ!ー『ボーン・アイデンティティー』

ボーン・アイデンティティー (吹替版)

 

マルセイユ沖にて、意識不明の男が漁船に引き揚げられる。背中に二発の銃弾、そしてお尻に銀行口座を示すカプセルを埋め込まれた謎の男。意識を取り戻した男は自分が何者なのか、一切の記憶を無くしていた。

男は自分が何者なのかを確かめるため、尻に埋まっていたカプセルが示すチューリッヒの銀行へ。そこにあったのは銃、大量の各国紙幣、そして様々な身分を示すパスポート(パスポート写真は自分自身)

ジェイソン・ボーンは自らを狙う暗殺者と戦いながら、無くした記憶を追う。

 

 

と、サスペンスフルな導入のこの映画。話が進む中で、マット・デイモン演じる主人公ジェイソン・ボーンはCIAが進めていた『トレッドストーン計画』と言われる強化人間養成計画によって産み出された凄腕暗殺者とわかる。そしてジェイソン・ボーンはある暗殺計画を失敗したところが映画の冒頭に繋がる。そして、暗殺計画やトレッドストーン計画そのものの情報が漏れないよう、CIAはジェイソン・ボーンの命を狙うことに。

道中知り合った女性・マリーと共に、次々に追ってくる暗殺者と戦いながら、ジェイソン・ボーンは自らの記憶を取り戻そうとする。

 

 

過剰なCGやワイヤーアクションを使わず、生身のアクションにこだわったというアクションシーンは当然地味ながらリアリティは確かにある。アクション映画ではお約束的な錆びついて弱った足場シーンも、足場が崩れることはなく、あっさりジャンプして着地を決める。

序盤のチューリッヒでのカーチェイスシーンも反対車線に突っ込んだりと無茶な運転はしているのだが、玉突き事故を起こして炎上なんてことは起こらない。終盤でやっと追手のバイクが対向車にぶつかる程度だ。この映画を見る少し前に『ワイルドスピード』を見た自分にはこのカーアクションは何とも刺激の少ないものだったが、それが逆に緊迫感を演出しているようにも思えた。スーパーマン的超展開が無い分、少しのピンチにハラハラできる。

 

 

命を狙う暗殺者と戦いながら取り戻す記憶(=アイデンティティー)のお話かと思えばどうもそうでもないのか? と物語が進むにつれて考えさせられる。

この『トレッドストーン計画』出身の暗殺者は「絶対にミスを犯さない暗殺マシーン」と劇中で表現されるのだ。しかしボーンはマリーとの逃走劇の中で、彼女に特別な想いを抱き始める。彼女の前ではずっと眠れなかったはずが安心して深い眠りに落ちさえする。

つまりこれは訓練された殺戮マシーンが人としての心(=アイデンティティー)を獲得する物語なのだ!!と、途中ややテンションが上がったのだがその考えは物語終盤に否定される。。。

失敗した任務の記憶をボーンは取り戻すのだが、その失敗理由が「標的が家族(子供達)と一緒にいたから」

暗殺者一人を作り上げるのに3000万ドル(←記憶曖昧)も掛けた『トレッドストーン計画』の誇る殺戮マシーンが標的のファミリーを見て日和っちゃうとか育成大失敗やんか!

と思わず叫ばずにはいられないあんぐり展開です。ボーンは元々殺戮マシーンではなく、人としての心を残していたのですね。いやいや、マリーとの出会いで人の心取り戻す~的なベタな展開でよかったんじゃないの? とか考えたりもしたのですが。そういった物語的ご都合主義やベタな展開を否定した作品と納得すれば、なるほど一貫した作品と言えるのかもしれません。

 

 

と、一旦は畳んでみたものの、どうしても納得いかないというか、ツッコミを入れずにいられない部分がひとつ。

お尻から出てきた銀行口座を示すカプセルです。百歩譲ってケツに埋め込むのは良しとしよう。そしてそこから出てきたのが決定的な機密情報だとかならわかる。しかしそこから出てくるのはボーンの仕事道具だ。作中には他のエージェントが命令を受け、作戦に当たるシーンが挿入される。皆ボーンと同じく幾種類ものパスポートや武器を用意するシーンだ。しかしその誰もがケツにカプセルを埋め込んでいる例はない。そもそも銀行口座になんか預けていない。それぞれの隠れ場所に保管している。

納得がいかない!

さらにそのケツのカプセルは銀行の口座番号を示すものなのだがちょっと待て! たかだか10桁程度の数字ですよ? 作中にボーンは訓練された自身の特性として、レストランに入った際に駐車場の車のナンバーを全て暗記したとか言っている。それなのに10桁程度の数字が覚えられないと?

しかし結果として記憶喪失になってしまったボーンにとって、このケツに埋め込まれた口座番号から全てが始まるわけだから物語にとって必須のアイテムだったわけなのだが、、、

って記憶喪失ありきの物語上のご都合でケツにカプセル埋め込まれたボーンちゃん大丈夫??

と、ちゃぶ台ひっくり返したくなる映画です。

 

 

 

 

 

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【小説感想】森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』ー登場人物と結ぶ信頼関係

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

お薦め本オールタイムベスト

誰かにオススメの本を訊ねられた時、よほど特殊なケースを除いていきなり安部公房を薦めたりするのは得策ではない。無難に「さわやかさ」を持った作品をオススメするのがベターだ。

そんな理由でぼくはオススメの本を訊ねられた際の候補の、そのかなり上位に君臨し続ける作品が森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』なのです。

 

森見登美彦作品といえば

森見登美彦といえば『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話体系』などが有名。(というかぼくが『ペンギン・ハイウェイ』含めてこの三作しか読んだことがない)その中での勝手なイメージとしては鬱屈とした京大生の主人公がタラタラと(しかし小気味いい)自分語りを延々繰り返しつつ、個性の強いサブキャラクター達と京都の街を舞台にどんちゃん騒ぎを繰り広げるといった感じ。キャラクターの面白みやユーモア溢れる語りが非常に楽しい作品達。そして『夜は短し歩けよ乙女』での百鬼夜行的なファンタジー展開や『四畳半神話体系』での世界線移動のSF的展開と、作品を貫いての大きなギミックが仕掛けられ、物語の奥行きを演出している。ぼくは好きな作家さんだ。

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 

四畳半神話大系 (角川文庫)

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2010年日本SF大賞受賞作

『ペンギン・ハイウェイ』は2010年日本SF大賞受賞作である。

という訳でもちろんSF作品で、未知との遭遇のお話にあたる。しかもそれが高次元世界のお話。物語の中にはタイムトラベルであったり閉鎖空間であったりが描かれるが、そのあたりを理論的に解説される訳ではない。SFと言っても藤子不二雄よろしく『少し不思議』的SFという感じでしょうか。ファンタジーSFという感じ(そんなカテゴリーがあるのか知らないですが)。なので日本SF大賞受賞作!!と、ハードSF的センスオブワンダーを求めて読み始めると肩透かしをくらいますし、設定の揚げ足取りに走ってしまう可能性あり。あくまでSF的設定は作品の彩りの一つであり、この小説の本質はキャラクター小説です。そしてキャラクター小説として『ペンギン・ハイウェイ』は非常に心揺さぶられる作品で、だからこそ様々な人にぼくが自信を持ってお薦めできる小説になっている。

 

魅力溢れる登場人物達が愛おしい

主人公は小学4年生のアオヤマ君。舞台は丘がなだらかに続く郊外の街。京大生が主人公でも京都が舞台でもない。ただこのアオヤマ君は普通の小学4年生ではない。

 

ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

(出典:『ペンギン・ハイウェイ』)

 

冒頭の一文が以上である。なかなかパンチの効いた語りだしだ。小賢しい、生意気な小学生感たっぷりである。下手をすればこの一文で本を閉じてしまう読者もいるのではないか? と心配してしまう程。まぁこの主人公のアオヤマ君のキャラクターになかなか馴染めなかったという意見も実際に聞いてはいるのだが。しかし相手は小学4年生だ。広い心を持って作品を読み進めて欲しい。それに彼はただの小賢しく生意気な少年ではない。彼は自らをそう語るに足る努力を日頃から積み重ねているのである。彼は小学4年生にして「相対性理論」を読み齧り、オリジナルの速記法を用いてポケットの中でメモを取る。全く共感のわかないスーパー小学生なのだ。しかし彼の素直な性格や自らの信念に則りトライアンドエラーを繰り返す様は、多くの大人の胸に刺さる部分があるとぼくは思う。

アオヤマ君はありとあらゆるものを記録していく。お父さんに教えてもらったノートの書き方に忠実に、身の回りの起こった事、疑問点、新たな発見を記録していく。と、アオヤマ君の人となりを語りだすとキリもなさそうなのでこの位に。

 

アオヤマ君ともう一人、物語の上で最重要となる人物が歯科医院のお姉さんである。奔放でミステリアスなお姉さん。アオヤマ君とは「海辺のカフェ」ではともにチェスを行ったりとプライベートでも親しい仲。お姉さんに対し密かな想いを寄せる(それを恋心とはまだ自覚のない)アオヤマ君の最重要研究対象である。そしておっぱいが大きい。

 

その他にもクラスメイトでチェスの普及に努めるハマモトさん。彼女もまた「相対性理論」を読み齧り、アオヤマ君も一目置く存在。アオヤマ君の研究仲間のウチダ君。彼は控えめな性格ながら、少年らしい「死」や「ブラックホール」といった大きなテーマに漠然とした不安感を抱く。ぼくも含め、多くの読者がスーパー小学生であるアオヤマ君よりもウチダ君に共感できるのではないだろうか? そしてガキ大将・スズキ君帝国初代皇帝のスズキ君。そして、全てを見通し見守るアオヤマ君のお父さん。と、みなそれぞれ一癖二癖ありながらも愛すべき登場人物達が舞台に配置される。

 

ざっくりあらすじ(※ネタバレ注意)

ある日、アオヤマ君の住む郊外の街に突如ペンギンの群れが出現する。どこから現れたのか? 謎に満ちたペンギン出現は早速アオヤマ君の研究課題となる。そんな中、アオヤマ君にとってもう一つの研究対象であるお姉さんが、コーラの缶をペンギンに変身させてみせる。このことから「お姉さんとペンギンの謎」がアオヤマ君にとっての最優先課題となる。しかしどうにもアオヤマ君の研究が進まずにいる中で、アオヤマ君の周りではまた様々な出来事が起こっていく。ハマモトさんが見つけてきた謎の球体『<海>』や街中で目撃の噂が流れる不気味な生き物『ジャバウォック』

物語が進む中でアオヤマ君は気付く。それら全ての現象がお姉さんに繋がっていると。

『<海>』は『神様が作るのに失敗したー穴』そしてお姉さんは世界に空いた『穴』を修理するための存在。お姉さんはその使命のまま、『穴』を塞いで消えてしまう。アオヤマ君は約束する「ぼくは会いにいきます」と。

 

寂しい別れと約束

と、ラストは『まどマギ』する訳です。お姉さんが実は人間ではなく高次元の存在であったり、<海>を中心に街全体が閉鎖空間になっていたりと、物語の後半でとんでも設定が次々にぶっこまれていくのですがそこはご愛嬌。先に書いたとおり、これはキャラクター小説で、登場人物の経験を楽しむ物語なのだ。「海辺のカフェ」でのラストシーン。アオヤマ君とお姉さんの会話シーンでは二人の残された時間が物語の残り時間とリンクし、どうしてもページをめくる手に未練が生まれる感動作である。

 

登場人物と読者間での信頼関係

『ペンギン・ハイウェイ』はその他名作と同様、読了の寂しさの残る作品である。この物語をもっと読み続けていたいと思える紛れもない名作だ。しかし『ペンギン・ハイウェイ』には読了後、寂しさの他にもう一つ残るものある。

それはアオヤマ君への信頼だ。

ラストシーン。消え行くお姉さんとアオヤマ君は約束する。大人になって、人類代表になって、必ずお姉さんに会いに行くと。無謀と思える挑戦である。そこに小説的ご都合主義は介在しない。それでもきっと、アオヤマ君はお姉さんに会いに行くのだろうと思う。毎日研究ノートを取り、課題を一つ一つクリアし、いずれ必ずアオヤマ君はお姉さんと再会するだろう。

ぼくは思うのです。登場人物に強く感情移入することはあれど、かつてこれ程まで登場人物を信頼しきったことがあっただろうか?

その辺り、萩尾望都さんによる文庫版あとがきも素晴らしい。

 

彼は世界の果てに向かって走る。消えてしまったお姉さんにもう一度会えるペンギン・ハイウェイを走る。大人になってお姉さんに会う。そして一緒に海辺の街へ行く。

(出典:『ペンギン・ハイウェイ』あとがき)

 

ネタバレ全開のあとがきなのだが。

萩尾望都さんもまたぼくと同じくアオヤマ君を信頼してやまないお一人のようだ。特異な体験のできる小説なので未読の方は是非一読を(ほぼほぼネタバレしてしまいましたが)

 

ちょうどこの文章を書いているタイミングで森見登美彦さんの『夜行』が直木賞にノミネートされたというニュースを聞いた。近く手に取ろうと思います。おわり。

 

 

 

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夜行

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