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自力推進。

漫画・小説の書評のようなモノ。映画・アニメ感想的何某。他

『進撃の巨人』22巻感想ー整理が付かないのでメタ視点で。

アニメ「進撃の巨人」の2期がスタートしました。こちら、やっぱり面白い。

前回の投稿ではコミック11巻~21巻まで一気読みした感想を書きました。わりと批判的な投稿になってしまったのですが、あの投稿直後にアニメを観まして、自分の中で「進撃の巨人」熱が上昇。22巻を発売日に購入いたしました。

 

進撃の巨人(22) (週刊少年マガジンコミックス)

表紙がいい!!

まず、表紙がすごくいいですね~!

真っ青な空と海。その海の向こう側を見渡すエレン、ミカサ、アルミンの背中。

逆光を意識した絵がとても綺麗です。

ですが内容について先にさらっと主観による感想を言うと、、、

やっぱりこう、、、アツくなる展開はないです。

 

けどその理由は、考察とかをすっ飛ばして、それどころか話の整理もしないまま一気読みしたせいだと思います。完全に。

考察を交えながら丁寧に読み進めていたとしたら、きっとこの巻は伏線回収や謎が解明された面白い巻になっていたはず!!

進撃の巨人」を一気読みする直前にマンガ「ハチワンダイバー」を読んでいせいもあり、「マジで~~~!!」「すげーーーー!!」のテンションを引きずったままこちらも読んでしまったので、おおよそ作品の楽しみ方を間違ってしまっていましたね。

で、その反省から22巻はじっくり丁寧に読み進めたのですが、それ以前の話が整理されていないため(直近の21巻の内容もあやふや)ついていけなかった。。。

改めて読み直そうと決意した次第であります。

 

内容について、あらすじを書き連ねる気はありません。

純粋に感じた事、整理したい事、疑問を。

 

グリシャやフクロウが目指したもの、そのゴールは何なのか?

普通に考えて、エルディア復権。エルディア人による打倒マーレである事は間違いないでしょう。

しかし気になるのはその終着点です。今巻のラストを見ても、エレンに打倒マーレの思いが受け継がれている事は間違いなさそう。

つまりはこの先、エレン達「壁の民」が大陸へ渡り、マーレとの戦いが描かれていくはずです。

ではその戦いの決着は何をもってなされるのか。

エルディア人の解放?

マーレの壊滅??

巨人の力という一大軍事力を持ったエルディアの国がマーレやその他の国とうまくパワーバランスを取っていく世界を目指すのか? それとも「悪魔の民」との呼称の通り、巨人の力を持ってエルディア人がその他の人類を支配する世界を目指すのか?

現時点では取らぬ狸の皮算用でしかないが、ひとつ、この物語の結末を考える中で疑問に思った点です。

 

ジーク(獣の巨人)やライナーの目的は?

マーレの戦士達も結局はエルディア人です。そんな彼らがマーレに加担する理由は何なのでしょう?

そこには何かしらの密約があるのでしょうが、それは一体どのようなものなのか気になります。

と言ってもジークは元々自分の父と母(グリシャとダイナ)をマーレ側に売った過去があるので、純粋に幼少の記憶からエルディア人でありながらエルディア人を憎んでいるといった節があるのかもしれません。しかし座標をマーレ側が手に入れた際のその後、自分たちの身の安全を確実に約束させ、それを守らせる程にマーレ側を信用できるのでしょうか?

いや、身の安全どころかライナー、ベルトルト、アニも命懸けのミッションを行っている以上、それに足る見返りがあるはずなのだが、それは一体??

 

一点気になるのはライナーの意識の混濁です。

「戦士」「兵士」のあそこです。初見の際はライナーの心の葛藤と、そのままに受け取っていたのですが、もはや何でもありに近い状態の今の「進撃の巨人」を見ていると、もしかしたら人格を移植されているのでは? という疑問が湧いてきます。

仮にそうとして、ではそんな事をするのは誰だとなった時、思い当たるのはジークなんですよね。

彼はどうも操られているとかいった様子は見られないので。

で、結局、ジークは一体どんな目的があってマーレの戦士をかって出ているのか。これが大きな疑問として残るわけです。

 

あ、ライナー、ベルトルトが話していた故郷に帰れない何たらの話は、実際的な手段の話だと僕は考えています。故郷(大陸)へ帰る船がなかったという事だと。しかしジークが船に乗ってやって来たため、一緒に海を渡る事が出来るって話だと考えているんですが違うのでしょうか?

 

ループ説が出てきた今思う事

フクロウ(エレン・クルーガー)は「座標」=「始祖の巨人」について、「すべてのユミルの民はその座標へと繋がっている。空間を超越した『道』でな」と話す。

この、「空間を超越した『道』」という表現や「繰り返すだけだ、同じ歴史を、同じ過ちを、何度も」というセリフ、またその後のシーンでは「ミカサ」「アルミン」の名を出し「誰の記憶だろう?」と語る。

この辺りの描写から(実際にはずっと前からもされているが)「進撃の巨人」ループ説や多重世界説がささやかれている。というかこれは完全に作者はそれを匂わせている。ミスリードかもしれないが。

 

で、僕が思うのは、この話でループにする意味ってあるのかという事。余計に話がややこしくなるだけだし、ループするならループするで、ループありきの展開が序盤から行われて、それが話の核にならない限り、ループを持ち込む意味はないと思う。なので、個人的には(完全にメタ視点からの予想だが)ループはないと考える。

考えるのだが、、、

もし仮に、ループものであったとした時、非常に気になる存在が僕の中に浮上する。

 

まず、この「進撃の巨人」という漫画の中で、もっとも重要なワードの一つに「自由」がある。

今巻ラストもエレンの「自由になれるのか?」というセリフで終わる。調査兵団の「自由の翼」にしてもそう、そもそもエレンは初めから「自由」を求めている。

そして一般論でも「自由」と「選択」は切り離せないものとされる。

この「選択」という言葉もまた、「進撃の巨人」では繰り返えされる重要なワードとなっている。

そしてこの「自由」と「選択」ーー「自由」の「選択」

というのは概ねループものやパラレル世界ものといったSF物語において主人公が迫られるテーマとなるものだ。

 

別にそれを理由にループ説を推すつもりではない。けれどもし、この作品がループものであるならば、この「選択」を主人公であるエレンに説き、迫り、強く意識させるに至ったリヴァイ兵長の存在がかなり重要ではないのかと思うのです。

リヴァイ兵長、もっというとアッカーマン一族と言い換えれるかもしれない、その存在は、作中最強キャラといった駒以上の意味が与えられていそうである。

今までもミカサにしろリヴァイにしろ、エレンの導き手の役をかっていた所はあるが、そんな人間的な関係ではなく、存在的な役目を担っているのではないかと思う。

 

エレン=始祖の巨人=大地の悪魔との契りのように、アッカーマン一族もまた、何かしらの人を超越した存在である可能性があるのではないか?

そもそもアッカーマン一族はエルディア人なのか? という疑問もある。レイス家の記憶改竄を受け付けないのもそういう理由からではないのだろうか。これはケニーが巨人化注射を自分に打っていたら判明したのだが、今となってはもう遅い。

こちらも以前として残る大きな謎の一つである。

 

その他の事を少し

「始祖の巨人」の力(座標の力)はそれを王家の血を引く者が継がなければ発動しない。というのは前巻からの話だが、エレンが以前発動させた元ダイナの巨人と接触時の事や、ヒストリアに触れた瞬間の記憶のフラッシュバックなどで何かを感じたようではあるが、ここはまぁ、あまり考察しようとは思わない点で、続きを待とうかなといったところ。

 

後は、地下室以降、エレンは本来なら他の調査兵と同じくグリシャの書き残したノートから情報を得ているはずなのだが、どう考えても記憶を共有している点について。「私は…」と自分を呼んだ事をアルミンにつっこまれる等、記憶の共有どころか人格の共有の筋が見えてきている。

これをSF的に考えると人格や経験の並列化?? などと考えてしまうのだけどどうなんでしょうか?

 

22巻を読んでザッと感じたのは以上の事。もしかしたら既出の部分で否定されていたり、逆に説明されている事があるかもなので、やはりもう一度しっかりと読み直してみようと思います。

 

なんやかんや、こうやっていろいろ考えていると面白い作品ですね。