新劇場版ヱヴァンゲリヲン「序」「破」「Q」鑑賞

Chapter.1 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 

2020年6月に公開が予定されていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開延期が発表されました。残念ではありますが世の中の状況を考えると仕方がない。これまで出口の見えない中でただひたすら待ち続けていた我々エヴァファンからすれば、公開が確定されているだけであと数年はおとなしく待ってられるというもの。

 

そして公開延期の知らせとともに、すでに公開されている新劇場版「序」「破」「Q」の三作品がYouTubeにて期間限定無料公開されることになった。これは大変太っ腹なありがたい救済だ。

昨年末に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開が6月と発表され、復習のためと年明けに「序」「破」「Q」をレンタルで見直したばっかりなんですが、こんなもんは何回観てもいいですからね。

残念ながら無料公開期間は終了してしまったが、改めて見直しての感想を。

 

◎「序」:リメイク作品として最高の第1作

2007年公開の新劇場版第1作目の作品。細かな設定の変更はあるものの、ほぼほぼ忠実にTVアニメシリーズの1話~6話までをデジタル作画でリメイクした作品。

ちなみにTVシリーズ新世紀エヴァンゲリオン」は全編セル作画であり、確か旧劇場版がセル画とデジタルが混在している作品だったはず。

公開当時、TVシリーズのVHS版とDVD版を揃え幾度となく見直していた自分にとって特に映像に関する不満もなく、古臭さも感じていなかったのだが(2020年現在になるとTVシリーズの映像はさすがに古さを感じてしまう)、新作の超作画・超映像に大感動し震え上がったのを覚えている。

 

今回改めて観ても「映像がすごい!綺麗!」と思えます。13年前の作品というのが信じられないクオリティです。

改めて、この作品の見どころはTVシリーズから超進化したラミエルですね。光沢感がアップし、それでいて透明感もアップしたその姿は非常に美しい。青空に浮かぶその姿には思わずうっとりしてしまう。

さらに攻撃時や防御時など活動の際に形状をくるくると変化させ、その表情の豊かさは非常に可愛らしい!

 

そしてエヴァ屈指の名シーンである「笑えばいいと思うよ」の綾波笑顔ももちろん新規カットに。この綾波笑顔はTVシリーズ版のあと劇場公開作品の「DEATH AND REBIRTH」でも修正されています。

「序」版を含めると3パターンになる訳ですが、「デスリバ」版のキラキラ萌え度高めの綾波笑顔が支持率高いかなと思いつつ、それに比べるとやや控えめな「序」版の綾波笑顔が個人的には一番しっくりきている。

 

◎「破」:個人的に好きになれない違和感

 

2009年公開の新劇場版第2作目。「序」がテレビシリーズを正当に映像進化させた作品であったのに対し、続く「破」ではかなりオリジナル展開が挟まれた。登場人物のキャラクター的変化や新キャラクター、話の筋書きにも大きく変更点が出され、またテレビシリーズのエヴァンゲリオンとは演出方法にも大きな変化が見られた。

 

そしてこの「破」であるが、何より世間の評判がかなりいい。

それは公開された当時からで、劇場公開翌日に映画館で見た時も、終演後周りの観客がみな賞賛の声を上げ、興奮気味に帰路についていたのを覚えている。この評価は現在でも変わらず、新劇場版内でも圧倒的に人気があるのがこの第2作目の「破」だ。

 

決して評価が低かったわけではない前作「序」、しかしどれだけ素晴らしいリメイクとはいえ、いわゆる総集編感は拭えない(個人的には十分なのだが)

それが「破」ではアニメシリーズの筋書きは踏襲されつつも、新作とも言える内容は確かに満足度が高いものだ。

また登場キャラクターがみな、少し人間的に柔らかく描かれたのも好感度が高い。あの碇ゲンドウですら、綾波やシンジに歩み寄ろうとするシーンが描かれるわけで。

 

そのキャラクターの微妙な描かれ方の変化の恩恵を一番受けたのは綾波レイだろう。シンジへの好意を表面化させ距離を詰める行動は、テレビシリーズでそういった描写に関しては塩対応されていた綾波ファンに刺さったのかなとは思う。

綾波が好きな人はあの「人間辞めてます」感や感情の見せないところにはまっていたのでは?とも思わなくもないのだが、可愛い綾波は確かに可愛い。

 

一方で割を食ったのは同じく柔らかい人間性を獲得した式波アスカ(アニメシリーズでは惣流)だろう。現在でも式波派と惣流派に別れた論争を目にすることはあるが、「アスカファン」にとっては惣流優勢とのイメージだ。

アスカファンにとってはあのツンツン感こそがアスカの魅力だと思う部分が強いのだろう。また、アスカ好きはアスカとシンジのペアリング好きも多い印象を受ける。

「破」においてアスカもシンジに対する好意を自覚、表現する描写も存在するが、綾波の気持ちを受けて一歩引く部分があり、サブヒロイン落ちした感が拭えない。つまりは逆に綾波がメインヒロインをがっつりやっているということでもある。

 

「序」においてヤシマ作戦をきっちり丁寧に描かれた綾波に対し、テレビシリーズ「アスカ、来日」からの「瞬間、心、重ねて」「マグマダイバー」をまるっとカットされたアスカは公式に干された感じがある。

アスカ好きにとって、この点は非常に残念であった。「序」の出来を以降、「アスカ、来日」「瞬間、心、重ねて」「マグマダイバー」の再映像化を「破」に求めていたのですから。。。

そして、何故だかキャラクター設定の調整の中で、テレビシリーズには存在していたアスカの巨乳設定もどこかに葬られてしまった。別にそこは重要なポイントではないのだが。

 

はっきり言うと自分の好みとして「破」はあまり好きではない。

それは推しであるアスカが干されたからと言う理由だけではなく。「これ本当にエヴァか?」と言う違和感があるのだ。ラストシーンのシンジが綾波を助けるシーンでその違和感は最高潮に達する。熱い。そう、全編通してエヴァらしからぬ熱血感が強いのだ。別に熱血がダメと言うわけではない。熱血ロボットアニメはむしろ大好きなカテゴリーでもある。ではエヴァが熱いのがダメかと言うとそうでもなく、そういうエヴァがあっていいと思う。ただ「破」で感じた違和感は熱さというよりは、「あれ、これエヴァだっけ?エウレカじゃなくて?」という感覚。

エウレカセブンっぽいのだ。

シンジ君はレントン化し、綾波エウレカ化しているのだ。

そもそもエウレカセブン自体がエヴァンゲリオンを強く意識して作られた作品ではあるのだが、「破」では逆転現象が起きたように錯覚してしまう。

ラストシーン、シンジが綾波を助けた後にそのまま月にハートマークを描いてしまうのではないかと心配してしまう程に。実際にはロンギヌス?カシウス?の槍が暴走した初号機を貫き、カヲル君が空から降ってくるという「破」では最もテンションの上がるシーンで締められるのだが。

 

個人的な感想として「この作品はこうあるべきだ!」という感想ってエゴでしかないし、ましてや世間の評価が高い作品にそういった批判をするのってダサいなと自覚はしている。結局は過去作品に縛られているだけで、頭が固いってことなんだと。しかしリメイク作品やシリーズ続編ものって元々の作品愛が強いほど「いやだ、ダメ、違う!」って、わかっていてもそうなってしまうんですよね。。。

制作側も「これですよね(ドン!)」とこちらの観たいものを作ってくれればいいのですが、制作側は制作側で「同じ事をするならやる意味がない」と、新たな挑戦を行ってきます。そんな中でもちろん素晴らしい、新しい価値ある作品が生まれたりするのですが、「破」に対してはなかなかジレンマを感じました。

 

はい。そして何より「エヴァはそうじゃないだろう!」と思ったのは、お話の部分以上に、演出の部分。

「破」では戦闘シーンでエヴァンゲリオンがめちゃくちゃ歪みます。

鶴巻監督お得意のって感じなのでしょうか? 「フリクリ」や「トップ2」、鶴巻監督は関係ないですが、同じく元ガイナックス出身の今石監督の「グレンラガン」「キルラキル」などで観られるアレです。パースが効いてグニャッと曲がる戦闘シーンは迫力もスピード感もありますし確かにかっこいいんです。

むしろ大好きです。

CGモデルによる完全剛性の戦闘シーンこそあまり好きではない。

ただ、エヴァンゲリオンは硬くいて欲しかった。これは完全に私のわがまま。

 

「破」でよかった部分は、マリの登場ですかね。本編見るだけでは何が何だかわからない、2号機にいきなりシンクロできる、裏コード知ってると完全に謎な存在ですが、あのキャラのノリ好きだし可愛いです。

実戦用プラグスーツを着ての「きっもちいい〜〜」のセリフとか。

 

「Q」:「起・承・転・結」の「転」

そして、2012年に公開された新劇場版第3作目の「Q」。こちらは超問題作として日本中のエヴァファンからハレーション、、、というかブーイングが起こった。

その原因の一つは事前公開された予告編とは全く違う本編だったこともあるだろう。「Q」の予告編ではエヴァンゲリオンが沢山出てくるし、戦闘シーンも豊富でワクワク感を掻き立てるかなり出来のいい予告編だった。(登山しているゲンドウ冬月ペアが気になり過ぎていた)

熱心なエヴァファンはこの予告編のみで色々と考察し、妄想を膨らませていた。そうして期待たっぷりに映画館に向かったところ、「予告は嘘でした〜」と何とも笑えないちゃぶ台返しを食らったのだ。

現在ではあの予告編は「破」と「Q」を繋ぐ間に起こった出来事では?と言われている。もしそちらの本編を見ることが叶うなら大変嬉しいのだが、まぁ、その可能性は限りなくゼロに近い。

と、まずは場外戦で思いっきり裏切られた私たちであったのっだが、本編が素晴らしい出来であったなら文句はない。しかしその肝心の内容が、、、よくわからなかった。

そう、全くわからなかったのだ。

一体何が起こっているのか、何が起こったのか、これからどうなるのか、今何をしているのか、もう何もかもわからなかったのだ。制作サイドは私たちに何かを伝えるということを完全に放棄している。「破」のラスト、熱血シンジ君がサードインパクトと引き換えにしてでもと助けた綾波との続きを一切提示しようとはしなかった。

まず、いきなり「破」から14年後という時間設定で話が始まり、その間シンジは初号機の中で眠っていたということになっている。シンジ自身もあのあと何が起こったのか、14年の間に何がどうなったのかわからない。私たちと同じ状況だ。だからシンジ君も私たちと同じく周りの人間に問う。「何が起こったの?」「綾波はどうなったの?」だが誰一人としてその問いに答えない。いや、答えろよ!

と、こんなところで見ている私とシンジ君のシンクロ率が100%となるのだが、その後もシンジ君(=私)はいらない子扱いされ「何もするな」と突き放される。

訳も分からないままにカヲル君が登場!し、親切なカヲル君は「破」のラストでニアサードインパクトが起きて人類のほとんどが死んで(?)しまったとシンジ君に伝える。さらに親切なカヲル君はこの世界をやり直す方法があるよとシンジ君を助けようとするのだが、カヲル君の計算違いで今度はフィフスインパクトを引き起こしそうになるシンジ君。「僕が何とかするよ。君は何も悪くないよ」と自分の頭を吹っ飛ばしてフィフスインパクトを止めるカヲル君。

え、、、カヲル君、君は何がしたかったんや!?!?

で終わるお話である。

 

うん。そりゃあ批判されるのも頷ける作品である。

ただ、当時見たときも、今改めて見てみても、私は「Q」が結構好きなのだ。

まず14年後という設定が出た時に、これは完全に新しいエヴァが始まった!と感じたところ。「破」は「序」に比べてかなり大きくオリジナル要素が加えられ、別の作品にはなっていたが、やっていることはテレビシリーズをなぞったものだった。それが「Q」は完全に未知の作品になっている。

結局はよく分からないっていうのが本音ではあるが、よく分からないからこそ、ヴンダー起動のシーンのワクワク感は半端ではなかった。何かが始まる感・何かが始まっている感をもりもり感じたのだ。

 

ラストシーンもいい。何やかんや憎まれ口を叩きながらもシンジを助け出すアスカ。そしてシンジのウォークマンを拾って二人に付いて行く綾波。3人が歩いていく後ろ姿はいよいよ最終章に向かう感がある。ここでシンジのウォークマンを無視しない綾波に、あれ?もしかしてこの綾波って「破」でシンジが助けた綾波?と期待もしてしまう。

 

そう、新劇場版は「序」「破」「Q」と、序破急をミスリードさせるが、4部作であって構造が起承転結になっている。「Q」は「急」ではなく「転」なのだ。続く「シン」へ向けて大きく物語を転換し、カタルシスへのエネルギーが十分に充填された作品なのではないかと思う。うん、やっぱり次が楽しみだ。

 

「Q」のアスカだが、色々言われているように、おそらく人間辞めている。14年越しに姿に成長がないのは「エヴァの呪縛」らしいが(アスカ以外のパイロット、シンジ・綾波・マリ・カヲルも姿が変わっていない。とはいえ、綾波は何人目かも分からないし、カヲル君は使徒だし、マリも元々人間なのか分からないのでサンプルはシンジとアスカだけだが)、眼帯の左目の発光やおそらくは防弾であろうガラスにパンチ一発でヒビを入れたり、エントリープラグの扉を引きちぎって投げ捨てたりと、怪力っぷりを発揮している。ただ14年間何やかんやでシンジを思っていた風のセリフや態度はなかなか健気で好感度高い。

 

マリは相変わらずいいキャラクターだ。結局マリの目的は何だか分からないが、シンジ君の境遇は理解しているようで、次作ではシンジとの接触をぜひ描いて欲しいものである。

 

さて、最終作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

公開延期となり、現在公開時期は発表されていないが、公開前におそらくあと一周は復習しようと思う。新劇場版鑑賞の流れで旧劇場版「Air/まごころを君に」も見直そうと思う。

現在Netflixが独占でテレビシリーズ、旧劇場版が視聴可能である。実はこのNetflixが独占というところに思うところがあるのだが、それは次の機会に話そうかと。