【アニメ感想】Netflix『攻殻機動隊SAC_2045』ーゴーストが囁かない
Netflixオリジナル作品として『攻殻機動隊SAC_2045』の配信がスタートした。
『SAC』のタイトル通りテレビシリーズからの神山健治監督の作品だ。さらに神山監督みずからの声で、この『攻殻機動隊SAC_2045』がテレビシリーズと世界線を共有し、『Solid State Society』以後の話と語られた。
また声優陣がSACの布陣で固められているのもオールドファンにとって嬉しい限り。ただ音楽担当から菅野よう子さんが外れているのがどうなるか。というのが視聴前の思いだった。これだけの人気シリーズで個人的にも相当な思い入れのある作品の続編ということで、まずはめっちゃ楽しみにしていたのだが。。。
◎周回すれば見慣れる安っぽい映像
まずは配信前から各所より既に批判が集まっていた3Dモデリングについて。これはですね、、、やはりと言うべきか、オールドファンには初見の違和感バリバリです!と言うかモニター割りたくなるレベルです。
攻殻機動隊というコンテンツに今作から触れた人や、まぁARISEから入った人ならまだ抵抗は少ないかもしれませんが、押井守監督のGITSやテレビシリーズSACからのファンにとってはそうすんなりと受け入れられる出来ではないです。
攻殻機動隊ファンって、その世界観やストーリーに強く魅了されるのと同等に映像の格好良さに惹かれている部分が大きいと思うのです。攻殻機動隊と名を持つ作品である以上、映像の格好良さはマストとなる要素だと思うのです。
その点で、今回の『攻殻機動隊SAC_2045』には残念ながら映像的な格好良さも新しさも感じないです。
3DCG作品にも映像として格好良いと思える作品は増えてきています。「シドニアの騎士」なんかは良くできているし、低予算?かどうかはわからないが、チープなモデルを使っていても「宝石の国」はカメラアングルや構図にこだわることでスマートでスタイリッシュな雰囲気を作り出した。
その点、『攻殻機動隊SAC_2045』では安っぽい印象を与えるのみになっている。
正直、イリヤ・クブシノブのキャラクター原画は魅力あるものなので、モデリング、映像化で割りを食ったのは残念。
作品の色というか雰囲気でいうと攻殻機動隊よりも同じく神山監督の作品『サイボーグ009:Call of Justice』を感じてしまう。チープな映像も含め。個人的に神山009では、『009 Re:Cyborg』はまぁ楽しめる作品であったが『サイボーグ009:Call of Justice』は残念極まりない作品だと思っている。
『サイボーグ009:Call of Justice』でのフランソワーズ萌えロリデザイン化といい、今回の少佐の萌えロリ化といい、、、神山監督が今そういった嗜好に傾いているのだろうか?
とはいえ『攻殻機動隊SAC_2045』は2周した時点で映像部分には慣れてしまった。間違ってもロリ少佐に萌えることはないが。
またモーションキャプチャを使った戦闘シーンの迫力がすごい!との声を耳にしたのですが、、、大した事ないです。
◎やっと盛り上がって来たところでシーズン2へ
ストーリー面に関してだが、この作品は2シーズン以上の作品となっているため、1シーズンでは完結しない。ん〜〜、やっとちょっと面白くなってきたところで1シーズンは終了する。なのでもしかしたら2シーズンでめちゃくちゃ面白くなるかもしれないが、現時点での判断はできかねる。とはいっても公開済みの12話で、面白いと思えるエピソードはない。
個人的に第7話「はじめての銀行強盗」は好きなのだが、その理由はバトーさんがバトーさんらしく活躍するエピソードで、私はバトーさんが好きだからだ。
結局バトーさんというキャラクターの過去の貯金で成立しているだけで、エピソードとしてはあまりにお粗末だ。ツッコミどころが多すぎるし(話の作り込みや設定が雑)、攻殻世界での高齢者の苦悩がテーマになっているが、既に『Solid State Society』を経験済みの我々からすると首を捻らざる得ない幼稚な切り口のエピソードである。
◎サイバーパンクのギミックを借りてきたファンタジーSF
そもそも今回の設定をざっくりまとめて説明すると「全世界同時デフォルトが起こり世界経済が死亡。サスティナブルウォーと言われる世紀末状態に突入。そんな中、ポストヒューマンと呼ばれる進化した新人類がすごい能力でサスティナブルウォーに関与している」と、ぶっ飛んだお話です。
うん、まず全世界同時デフォルトってところで現実味がない。そしてポストヒューマンとかいうとんでもが登場。なんとも安っぽいSF設定で萎える。攻殻機動隊はSF作品ではあるが、ありそうな未来、そう遠くない未来を描くサイバーパンクものであった。だがこれはもうファンタジーSFである。そうなれば、もうこれは攻殻機動隊でやる意味がないだろう。軍隊と民間人がドンパチやってる中で「公安です」っていわれても「は?」となってしまう。
そういえば『サイボーグ009:Call of Justice』でもブレスドといわれる超人類が登場する。神山監督は今そういった嗜好に傾いているのだろうか?
◎『S.S.S』から続くお話という事だが……
神山監督自ら今回の作品が『S.S.S』に続くお話といっている以上、それはそうなのだろうが、本当にそうか?と思うシーンが結構あって困る。
まず、テレビシリーズ『2nd GIG』後、公安9課を離れた少佐はネットの世界に姿を消し、犯罪への独自介入を行なっていた。『S.S.S』で新生9課と少佐が再びタッグを組み傀儡回しと対峙、ラストで少佐の9課復帰が匂わされる。
ところが今回はスタート時点で公安9課は解散済みで、トグサを除く主要メンバーは南米で傭兵としてヒャッハーしているのだ。
確かに少佐は最新鋭の装備やテクノロジーを惜しみなく使える環境を楽しむといった風なセリフを言っていたが、あまりにも志が低くないか?
アオイ君や久世、そして広大なネット世界を彷徨い見出した先がこれでいいの?と腑に落ちない。
また、バトーさんの「俺は世界中がこのまま戦争ごっこして暮らしていけるようになっちまえばいいって思ってるがな」(第1話)というセリフ。バトーさんは確かに荒事、力技が好きではあるが、戦争の悲惨さや悲しみを9課メンバーで誰よりも知っている人物だった。そんなバトーさんが戦争肯定を、戦争を楽しむようなセリフはどうも自分の中でキャラクター像に一致しない。
そしてトグサの離婚である。
『S.S.S』にて、傀儡回し捜査中にトグサは自分の娘を危険に晒してしまう。それがきっかけとなり、自分の家族を守るため、自分と距離をと考えたのかもしれない。また、少佐たちが日本を離れる際、トグサが同行しなかったのは家庭があったから。そして家庭に引っ張られ、一人民間警備会社に勤めて日本に残ったことがトグサにとっては後悔として残ったのだろう。
つまりトグサは自分のやりたい事(=少佐たちと共にありたい)を優先するため、家庭を切ったという事だ。
ありそうな話ではある。筋も通っている。
ただ家庭を持っているということはトグサというキャラクターのアイデンティティとしてもポジションとしてもキーとなる重要部分だったはず。それは少佐がもともと9課メンバーに警察からトグサを引き抜いた理由の一つとしても語られた部分だ。トグサというキャラクターを語る上で、「家庭を切る」という判断は「マテバを捨てる」「全身義体化」以上にライン上に見えない行動に思えてならない。
と、『S.S.S』から見るとどうも話が分断されて見えたり、これはもうはっきりいってしまうが、キャラクターが薄っぺらくなってしまっている。ゴーストを感じないといってしまってもいい。それはもうキャラクターとしても作品全体としても大きく魅力を損ねる結果になっている。
そういえば、攻殻機動隊といえばSACにしてもGITSにしても拡張される経験記憶、並列化される情報の中での個の規定と維持、つまりはゴーストの存在が常に裏テーマ(時にメインテーマ)として作品に脈々と流れていたが、今回の作品ではテーマとしてそれを読み取ることは難しい。ただのキメ文句として「ゴーストの囁き」などと言われても薄ら寒いだけである。
◎ステレオタイプな描写にウンザリ
この作品、背筋がゾクッとするような寒い?痛い?シーンが結構あって。それは擦られまくって手垢まみれのステレオタイプなシーンを恥ずかしげもなくゴリゴリ盛り込んでくるところだ。
・作戦成功でバトーさんに「頭なでなでして〜」と甘えるタチコマ
・黒スーツに黒サングラスにオールバックのCIAエージェント、そして名前がジョン・スミス!!
・裸にガウンのお金持ち
・裸にガウンで銃撃を股間チラチラさせながらムーンウォークでヌルヌル避けるお金持ち
・指ぐっちゃぐちゃにされたまま全裸バク転で高速移動する変態
・テンガロンハットに猟銃
・江崎プリンとかいう存在すべて
・トグサが格闘シーンでブルースリー
・SNSによる多数決裁判
・たてついた生徒に教師がセクハラ・・・etc
と、さっと思いつくだけでもこのようにテンプレのオンパレードである。しかもそのテンプレ、ちょっと古くないですか?という惨劇。
見ていてこちらが声を出したくなる程に寒い。クールでスタイリッシュな攻殻機動隊を返して欲しい。
そもそもテレビシリーズの『SAC』では作中で結構「ステレオタイプ」なイメージをダサいというシーンがあったはず。確かにあった。あるはず。それも何度かあった!
それが今作ではもう出し惜しむことなく、詰め込めるだけぎっしり詰め込まれている。
自らの過去作品から特大のブーメランが突き刺さっている。そして極め付けのジョージ・オーウェル『1984』引用。。。
◎シーズン2に期待、これまでの攻殻の素晴らしさを再確認
気が付けば酷評となってしまっているが、書き始める時は攻殻機動隊ということを一度忘れてみれば、少しは楽しめるかもしれないと、ソフトなものにしようと思っていた。私がこれだけ批判的になってしまったのも過去の攻殻機動隊に縛られ、引っ張られているからで、それはもう私の電脳の硬化が始まっているからだ。
リベラルでフレキシブルな感性を持っている人にとってはそれほど悪い作品ではないのかもしれない。うん、今っぽいエンターテイメント作品との見方もできる。なので未視聴の方は一度ぜひ自分の目で観ていただきたいです。
実はまだ語りたい事があるのだけれど、随分と長くなってしまったので別記事にしようと思います。
けどあといくつかだけ!(まだあるのか)
音楽が菅野よう子さんでなくなったのはやはり残念。今回の音楽が悪いとは言わないがありきたり。というかほぼ意識に残らない。邪魔をしていないといえば聞こえが良くなるかもしれないが、印象的なシーンはなし。菅野よう子さんはしっかり作品世界と向き合ってBGMまで作っていたんだなと改めて関心した。
そういう意味でARISEの音楽を担当したコーネリアスもナイスだった。
今をときめくKing Gnu常田大希率いるmillennium paradeのオープニング楽曲「Fly with me」は楽曲としてはめっちゃかっこいい!ただ攻殻にあっているかといえば合っていなかったかも、、、?
本当、かっこ良くてお洒落な曲。ブラックミュージックの要素が合わないのかな?と最初は思っていたのだが、そうではないかも。
単純に菅野よう子の「Inner Universe」もコーネリアスの「GHOST IN THE SHELL ARISE」も楽曲にセンスオブワンダーがあった。
どちらも未来感やクールさ、格好良さ、つまりは攻殻機動隊っぽさにプラスして「なんだこの曲!?」という驚きがあった。「Fly with me」には。。。
いや、この曲もmillennium paradeもKing Gnuも大好きなのだけど!
オープニングの映像はちょっと微妙。攻殻機動隊ではおなじみの義体組立シーンで構成。そこに3Dプリンタを持ち込んだのは新しいと思えた。そのコンセプトを活かせるまでの映像としての出来ではない。
エンデイングの映像は酷い。クレジットでエンディング監督がキャラデザのイリヤ・クブシノブとなっていて、彼のイラストで構成されている。あまり詳しく知らないので適当な物言いになってしまうが、この人、動きのあるイラスト描けないのかな?
無表情棒立ちトグサはちょっと笑えるからいいとして、少佐のアクションがすべて死に体になっている。わざとそうしているのだとしたら意味がわからないのだが、何か込められた意味があるのだろうか?
キャラデザのイラストは魅力的なのでなんでこうなったのか謎である。軽くググったところ、バストアップのイラストばかり出てきて全身の動きのあるものは見つからなかった。やはり苦手なのかな?だとしたら別の演出を考えるべきだったのでは?
これが最後、ある意味で一番許せない部分。
それが各話のタイトルバックシーン。
手抜きにもほどがある。何だあのフォントは。
新人がパワポで作ったのかな?というでき。
第1話トグサ登場シーン。
民間警備会社勤めのトグサの登場シーンは、仮想通貨のサーバーに攻撃を仕掛けようとするところに乗り込み、これを捕えるシーン。
このシーンで犯人の男はなぜかブリーフ姿(笑)
その演出が必要だったかは謎。神山監督なりのリアリティなのか?一体仮想通貨ハッカーにどんなイメージを持っているのだろうか?
トグサ君にも「はぁ? 何だよ、その格好は(やれやれ)」と呆れられる犯人の男。
エンディングで「ブリーフ男」とクレジットされているのが今作の見所である。「ハッカー」とかでよかったんじゃ。。。