【アニメ感想】グレイプニルが面白い

 

僕の中には

 

 

4月クールで放送中のアニメMX「グレイプニル」がNetflixのおすすめ動画に上がってくるようになったので、現在配信済みになっている8話までを一気視聴。新型コロナウィルス感染症の影響で放映・配信の一時中止や遅延が多くの番組で起こっている中で、グレイプニルは安定したクオリティでの放送が続いている。

 

グレイプニルの原作はヤングマガジン増刊月刊誌「ヤングマガジンサード」にて2015年から連載されていて、現在8巻まで単行本が刊行されている。

 

テレビアニメ公式サイト(http://gleipnir-anime.com/)では、「異形のSFアクション&ラブコメ」と作品が紹介されているが、、、

 

自称宇宙人が能力を授けるという部分で「SF作品」に分類されているのかと思うが、いわゆるSF的なアイデアやロジックはアニメ8話までに描かれてはいないし、ラブコメと言われるほどコメディ要素は多くなく、どちらかというとシリアスな異能力バトルものである。

 

能力バトルものといえば、もはや散々こすられたジャンルの作品で、名作と呼ぶにふさわしい作品もたくさんある。個人的には各人が能力の特性を活かした戦い方やアイデアによる攻略が描かれる作品が好きだが、その点でいえばグレイプニルは能力ゴリ押しのバトルが多いく内容なのだが、、、

 

それでも私はグレイプニルにはまった!

 

まずは登場人物たちの能力なのだが、単純な肉体強化のものから植物を育てるもの、透明になる能力、裏切ると死ぬ契約など、わりと何でもアリとなっている。空間操作や時間操作的なとんでも能力発言するキャラクターが出てきてもおかしくないかなといった様相。

 

そんな中で、主人公の修一の能力は「犬の着ぐるみ」になる能力。

着ぐるみに変身することで肉体は強化され、嗅覚も以上に向上するらしい。さらには本能的・野性的に人格が変容する?かの描写も一部挟まったが、現在までの描写を見るにあまり重要なようには描かれていない。

 

しかし修一の能力はそれだけではなく、他の人間をその着ぐるみの中に入れることができるのだ!

 

基本的にはヒロインである紅愛(クレア)が中に入るのだが、その初シーンというのが、クレアが変身修一の背中にチャックを見つけ、開けてみると中が空っぽと判明。いや、アニメの描写的には空っぽというよりは肉肉しく描かれているのだが。そして中身空っぽの着ぐるみなら入れるんじゃね?ということで中に入ってしまう。

さらに中に入ると、、、お互いの記憶や感情までも共有してしまう、まさに身も心も合体!といった効果があり、ペアになることで戦闘能力も向上するのである。

 

何気にこの修一の能力、さらにはクレアが修一の中に入るという流れに狂気を感じてしまった。男女合体ものといえば「アクエリオン」だとか「ダーリン・イン・ザ・フランキス」だとかあるにはあるが、これほど生々しいのは新しさを感じる。全く違うといえば違うのだが「女子攻兵」的な狂気感を感じる。

 

そして、この「中に入る」「合体」という描写も含め、作品全体にエロ要素が満載である。このエロ要素にはクレアがやたらと服を脱ぎたがるという性格も含まれたり、レズビアンである紗耶香とクレアの絡みであったりと、、、いわゆる青年誌的な意味のないエロ描写が多く、、、その点については無条件に嫌悪感を抱く方もいるのではと思う。しかし、着ぐるみ修一の中に入る女の子(基本的に中に入るのはクレアだが、8話の段階でクレア以外に千尋というポッと出の女の子がいきなり修一の中に入っている。しかも全裸で)のシーンは「アクエリオン」でのわかりやすい「気持ちいい〜」といった描写でも、「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のあからさまな性交を想起させるものでもないのに妙にエロく、文学的な官能感を感じるのだ。

 

ストーリー部分については、かなり早足で進むイメージ。それは原作由来のものなのかアニメに限ったものなのかはわからないが、とにかく話の展開が早い。

早過ぎてついて行けないくらいに(笑)

 

クレアの姉であり、修一を着ぐるみ姿に変えた、そしておそらく修一の記憶喪失(記憶の書換え)の秘密を知る(もしくは当事者)である最重要キャラクターの江麗奈(エレナ)も、散々重要人物感を匂わされたとかと思うと、あっさり登場し、結局何が何だかわからないまま話が進んでいく。

うまく謎と謎が噛み合って、、、というよりも行き当たりばったりで物語を転がしている色が強い。

つまりは原作由来のものなのかもしれない。

 

そもそも全ての始まり、元凶であろうラブホテル脇で生活する自称宇宙人についての情報が少な過ぎるにも関わらず割と存在を受け入れられていたり、登場人物の行動理念が無茶苦茶だったりバラバラだったりするのだが、それを差し引いても続きが気になる作品ではある。

 

 

 

グレイプニル(1) (ヤングマガジンコミックス)

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  • 作者:武田すん
  • 発売日: 2016/03/18
  • メディア: Kindle版
 

 

 

VODに求める本質は「今観たい作品>面白い作品」:Netflixの独占配信が凄いんじゃないか?という話

 

 ガチインドア派だがゲームを一切しない、テレビを所有していないという環境の私は、では家で何をしているのかというと本を読んでいるか動画を観あさっている。

そんな私にとって動画配信サービス(VOD)は生活になくてはならないものだし、妥協もない。これまでメジャーどころのサービスは大体試してきたし、現在も「Amazon prime video」「U-NEXT」「Netflix」「Disney DX」「dアニメストア」と5つのサービスを契約している。

 

 

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◎Netflixというサービスについて

今回のメインの話題はNetflixについて。

もともとNetflixはバランスのいい動画配信サービス(VOD)ではあった。日本のテレビドラマに関してはHuluやFODに劣るものの、日本アニメも割と豊富で日本のバラエティもラインナップとして存在する。洋画・海外ドラマに関してはさすがの品揃えで、アメリカ作品に限らずヨーロッパ作品も豊富である。

 

だが動画配信サービスに詳しい人からすると、Netflixの魅力はオリジナルコンテンツにあると言われるだろう。

うん。その通りだと私も思う。

オリジナル作品はその作品を見たければサービスに契約する以外ないので、こちらが充実するということはサービス契約へのかなり大きな要因の一つとなる。Amazon Prime Videoも有名どころでいえば、松本人志「ドキュメンタル」など日本バラエティを中心にオリジナル作品を作っている節があるが、Netflixのそれは規格外の力の入れようである。

日本で有名な作品でいえば、こちらはフジテレビとの共同制作ではあるが「テラスハウス」もNetflixオリジナルコンテンツの一つであるし、最近話題になったドラマ作品、山田孝之主演の「全裸監督」もNetflixオリジナル作品である。

海外ドラマにしてもDCコミックの「デアデビル」や「フラッシュ」そのほかにも骨太な作品かかなりの数で揃っている。

そして何よりNetflixがここ最近力を入れていると思われるのは日本アニメである。

Netflixが巨大資本を投入し、日本アニメを作っている。Netflix資本流入により、日本のアニメ制作現場が大きく変わろうとしているといった記事も多く目にするようになってきた。実際にNetflixによる日本人クリエイターや制作会社の抱え込みは進んでいるという。

 

とはいえ、まだまだ手放しで面白いと言える作品が出揃っていないというのが個人的な感想。今後に期待はしているが、「オリジナル作品が面白いから!」とNetflixの契約を勧められるところまでは現状きていないかなと考えていた。

 

◎タイミングを狙っての過去作品の独占化

ではNetflixの何がすごいか。

今回私が気付いたのは「タイミングのいい過去作品の独占化」である。

今月たまたま2作品「エヴァンゲリオン」「攻殻機動隊SAC_2045」についての記事を書いた。そのどちらも現在話題になっているというところから書いた記事であるのだが。

その記事を書いた際に気づいたことに、この両作品の過去作品がどちらもNetflix独占配信になっていることだ。

 

攻殻機動隊に関しては「攻殻機動隊SAC_2045」が公開となり、話題になっているタイミング。エヴァンゲリオンは公式YouTubeにて新劇場版3作品が無料公開されたタイミングである。

エヴァンゲリオンのYouTube公開はコロナウィルス感染症の影響によってのものであるが、もともとを考えれば6月に劇場版最新作が公開を予定していた、その直前でのタイミングということを忘れてはならない。

 

人間が生活をする上で、特定の作品を再び観たいと思う時はどういう時か?

もちろん、個人の思いつきに依るところが大きいので、それを計算することは不可能だ。しかし連作・シリーズ物の最新作品が公開になるタイミングはどうだろうか?

過去作品を復習のためにであるとか、新作を観た際にもう一度過去作品を観たくなるなんてことは大いにあることである。

 

まだサンプルが少ないため、これが本当にNetflixが狙って行なっている事なのか断定はできないが、Netflixほどの企業である。そのあたりのマーケティング戦略を取っていないはずがないと予想される。

そして、それを可能にする潤沢な資本も持ち合わせているのだ。

 

◎「観たい時に観れない」は最大のストレス

動画配信サービスにおいて、「面白い作品がたくさんある」というのはもちろん大切な事である。こちらに主体性がなく、お勧めのままにたまたま出会った作品にハマることも多々ある。その動画配信サービスが素晴らしいと、プラス評価に繋がることもあるだろう。

しかし、これまで幾多の動画配信サービスを利用してきた経験の上で語らせてもらうと。

このプラス評価よりも「観たい作品が観れない」というストレスからくるマイナス評価の方がユーザーにとっては非常に大きいという事だ。

 

「どうしても観たい!」という作品が、契約しているサービスで配信されていない時のストレスは、そのままサービスの解約に繋がるほどである。

もっというとその作品が別のサービスでは視聴できるとなると、それはそのまま乗り換えに直結する。

 

そのどうしても観たい作品をタイミングよく独占化するという戦略をNetflixが本格的に取り入れているとすれば、これはもうそのままNetflixが動画配信サービスの天下を獲ることになるだろう。

先程も言った通りまだまだサンプルが少な過ぎるのでNetflixがどれ程まで狙って行なっているのか判断するのは難しい。

もしかしたら、ただの偶然の可能性もまだまだある。

Netflixのコンテンツの独占化という点に、今後も注目していきたい。

 

 

 

 

www.jirikisuishin.org

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【アニメ感想】Netflix『攻殻機動隊SAC_2045』ーゴーストが囁かない

 

Netflixオリジナル作品として『攻殻機動隊SAC_2045』の配信がスタートした。

『SAC』のタイトル通りテレビシリーズからの神山健治監督の作品だ。さらに神山監督みずからの声で、この『攻殻機動隊SAC_2045』がテレビシリーズと世界線を共有し、『Solid State Society』以後の話と語られた。

また声優陣がSACの布陣で固められているのもオールドファンにとって嬉しい限り。ただ音楽担当から菅野よう子さんが外れているのがどうなるか。というのが視聴前の思いだった。これだけの人気シリーズで個人的にも相当な思い入れのある作品の続編ということで、まずはめっちゃ楽しみにしていたのだが。。。

 

 

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(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

◎周回すれば見慣れる安っぽい映像

まずは配信前から各所より既に批判が集まっていた3Dモデリングについて。これはですね、、、やはりと言うべきか、オールドファンには初見の違和感バリバリです!と言うかモニター割りたくなるレベルです。

攻殻機動隊というコンテンツに今作から触れた人や、まぁARISEから入った人ならまだ抵抗は少ないかもしれませんが、押井守監督のGITSやテレビシリーズSACからのファンにとってはそうすんなりと受け入れられる出来ではないです。

攻殻機動隊ファンって、その世界観やストーリーに強く魅了されるのと同等に映像の格好良さに惹かれている部分が大きいと思うのです。攻殻機動隊と名を持つ作品である以上、映像の格好良さはマストとなる要素だと思うのです。

その点で、今回の『攻殻機動隊SAC_2045』には残念ながら映像的な格好良さも新しさも感じないです。

3DCG作品にも映像として格好良いと思える作品は増えてきています。「シドニアの騎士」なんかは良くできているし、低予算?かどうかはわからないが、チープなモデルを使っていても「宝石の国」はカメラアングルや構図にこだわることでスマートでスタイリッシュな雰囲気を作り出した。

その点、『攻殻機動隊SAC_2045』では安っぽい印象を与えるのみになっている。

正直、イリヤ・クブシノブのキャラクター原画は魅力あるものなので、モデリング、映像化で割りを食ったのは残念。

作品の色というか雰囲気でいうと攻殻機動隊よりも同じく神山監督の作品『サイボーグ009:Call of Justice』を感じてしまう。チープな映像も含め。個人的に神山009では、『009 Re:Cyborg』はまぁ楽しめる作品であったが『サイボーグ009:Call of Justice』は残念極まりない作品だと思っている。

『サイボーグ009:Call of Justice』でのフランソワーズ萌えロリデザイン化といい、今回の少佐の萌えロリ化といい、、、神山監督が今そういった嗜好に傾いているのだろうか?

とはいえ『攻殻機動隊SAC_2045』は2周した時点で映像部分には慣れてしまった。間違ってもロリ少佐に萌えることはないが。

またモーションキャプチャを使った戦闘シーンの迫力がすごい!との声を耳にしたのですが、、、大した事ないです。

 

 

◎やっと盛り上がって来たところでシーズン2へ

ストーリー面に関してだが、この作品は2シーズン以上の作品となっているため、1シーズンでは完結しない。ん〜〜、やっとちょっと面白くなってきたところで1シーズンは終了する。なのでもしかしたら2シーズンでめちゃくちゃ面白くなるかもしれないが、現時点での判断はできかねる。とはいっても公開済みの12話で、面白いと思えるエピソードはない。

個人的に第7話「はじめての銀行強盗」は好きなのだが、その理由はバトーさんがバトーさんらしく活躍するエピソードで、私はバトーさんが好きだからだ。

結局バトーさんというキャラクターの過去の貯金で成立しているだけで、エピソードとしてはあまりにお粗末だ。ツッコミどころが多すぎるし(話の作り込みや設定が雑)、攻殻世界での高齢者の苦悩がテーマになっているが、既に『Solid State Society』を経験済みの我々からすると首を捻らざる得ない幼稚な切り口のエピソードである。

 

 

◎サイバーパンクのギミックを借りてきたファンタジーSF

そもそも今回の設定をざっくりまとめて説明すると「全世界同時デフォルトが起こり世界経済が死亡。サスティナブルウォーと言われる世紀末状態に突入。そんな中、ポストヒューマンと呼ばれる進化した新人類がすごい能力でサスティナブルウォーに関与している」と、ぶっ飛んだお話です。

うん、まず全世界同時デフォルトってところで現実味がない。そしてポストヒューマンとかいうとんでもが登場。なんとも安っぽいSF設定で萎える。攻殻機動隊はSF作品ではあるが、ありそうな未来、そう遠くない未来を描くサイバーパンクものであった。だがこれはもうファンタジーSFである。そうなれば、もうこれは攻殻機動隊でやる意味がないだろう。軍隊と民間人がドンパチやってる中で「公安です」っていわれても「は?」となってしまう。

そういえば『サイボーグ009:Call of Justice』でもブレスドといわれる超人類が登場する。神山監督は今そういった嗜好に傾いているのだろうか?

 

 

◎『S.S.S』から続くお話という事だが……

神山監督自ら今回の作品が『S.S.S』に続くお話といっている以上、それはそうなのだろうが、本当にそうか?と思うシーンが結構あって困る。

まず、テレビシリーズ『2nd GIG』後、公安9課を離れた少佐はネットの世界に姿を消し、犯罪への独自介入を行なっていた。『S.S.S』で新生9課と少佐が再びタッグを組み傀儡回しと対峙、ラストで少佐の9課復帰が匂わされる。

ところが今回はスタート時点で公安9課は解散済みで、トグサを除く主要メンバーは南米で傭兵としてヒャッハーしているのだ。

確かに少佐は最新鋭の装備やテクノロジーを惜しみなく使える環境を楽しむといった風なセリフを言っていたが、あまりにも志が低くないか?

アオイ君や久世、そして広大なネット世界を彷徨い見出した先がこれでいいの?と腑に落ちない。

 

また、バトーさんの「俺は世界中がこのまま戦争ごっこして暮らしていけるようになっちまえばいいって思ってるがな」(第1話)というセリフ。バトーさんは確かに荒事、力技が好きではあるが、戦争の悲惨さや悲しみを9課メンバーで誰よりも知っている人物だった。そんなバトーさんが戦争肯定を、戦争を楽しむようなセリフはどうも自分の中でキャラクター像に一致しない。

 

そしてトグサの離婚である。

『S.S.S』にて、傀儡回し捜査中にトグサは自分の娘を危険に晒してしまう。それがきっかけとなり、自分の家族を守るため、自分と距離をと考えたのかもしれない。また、少佐たちが日本を離れる際、トグサが同行しなかったのは家庭があったから。そして家庭に引っ張られ、一人民間警備会社に勤めて日本に残ったことがトグサにとっては後悔として残ったのだろう。

つまりトグサは自分のやりたい事(=少佐たちと共にありたい)を優先するため、家庭を切ったという事だ。

ありそうな話ではある。筋も通っている。

ただ家庭を持っているということはトグサというキャラクターのアイデンティティとしてもポジションとしてもキーとなる重要部分だったはず。それは少佐がもともと9課メンバーに警察からトグサを引き抜いた理由の一つとしても語られた部分だ。トグサというキャラクターを語る上で、「家庭を切る」という判断は「マテバを捨てる」「全身義体化」以上にライン上に見えない行動に思えてならない。

 

と、『S.S.S』から見るとどうも話が分断されて見えたり、これはもうはっきりいってしまうが、キャラクターが薄っぺらくなってしまっている。ゴーストを感じないといってしまってもいい。それはもうキャラクターとしても作品全体としても大きく魅力を損ねる結果になっている。

そういえば、攻殻機動隊といえばSACにしてもGITSにしても拡張される経験記憶、並列化される情報の中での個の規定と維持、つまりはゴーストの存在が常に裏テーマ(時にメインテーマ)として作品に脈々と流れていたが、今回の作品ではテーマとしてそれを読み取ることは難しい。ただのキメ文句として「ゴーストの囁き」などと言われても薄ら寒いだけである。

 

 

◎ステレオタイプな描写にウンザリ

この作品、背筋がゾクッとするような寒い?痛い?シーンが結構あって。それは擦られまくって手垢まみれのステレオタイプなシーンを恥ずかしげもなくゴリゴリ盛り込んでくるところだ。

 

・作戦成功でバトーさんに「頭なでなでして〜」と甘えるタチコマ

・黒スーツに黒サングラスにオールバックのCIAエージェント、そして名前がジョン・スミス!!

・裸にガウンのお金持ち

・裸にガウンで銃撃を股間チラチラさせながらムーンウォークでヌルヌル避けるお金持ち

・指ぐっちゃぐちゃにされたまま全裸バク転で高速移動する変態

・テンガロンハットに猟銃

・江崎プリンとかいう存在すべて

・トグサが格闘シーンでブルースリー

・SNSによる多数決裁判

・たてついた生徒に教師がセクハラ・・・etc

 

と、さっと思いつくだけでもこのようにテンプレのオンパレードである。しかもそのテンプレ、ちょっと古くないですか?という惨劇。

見ていてこちらが声を出したくなる程に寒い。クールでスタイリッシュな攻殻機動隊を返して欲しい。

そもそもテレビシリーズの『SAC』では作中で結構「ステレオタイプ」なイメージをダサいというシーンがあったはず。確かにあった。あるはず。それも何度かあった!

それが今作ではもう出し惜しむことなく、詰め込めるだけぎっしり詰め込まれている。

自らの過去作品から特大のブーメランが突き刺さっている。そして極め付けのジョージ・オーウェル『1984』引用。。。

 

 

◎シーズン2に期待、これまでの攻殻の素晴らしさを再確認 

気が付けば酷評となってしまっているが、書き始める時は攻殻機動隊ということを一度忘れてみれば、少しは楽しめるかもしれないと、ソフトなものにしようと思っていた。私がこれだけ批判的になってしまったのも過去の攻殻機動隊に縛られ、引っ張られているからで、それはもう私の電脳の硬化が始まっているからだ。

リベラルでフレキシブルな感性を持っている人にとってはそれほど悪い作品ではないのかもしれない。うん、今っぽいエンターテイメント作品との見方もできる。なので未視聴の方は一度ぜひ自分の目で観ていただきたいです。

実はまだ語りたい事があるのだけれど、随分と長くなってしまったので別記事にしようと思います。

 

けどあといくつかだけ!(まだあるのか)

音楽が菅野よう子さんでなくなったのはやはり残念。今回の音楽が悪いとは言わないがありきたり。というかほぼ意識に残らない。邪魔をしていないといえば聞こえが良くなるかもしれないが、印象的なシーンはなし。菅野よう子さんはしっかり作品世界と向き合ってBGMまで作っていたんだなと改めて関心した。

そういう意味でARISEの音楽を担当したコーネリアスもナイスだった。

今をときめくKing Gnu常田大希率いるmillennium paradeのオープニング楽曲「Fly with me」は楽曲としてはめっちゃかっこいい!ただ攻殻にあっているかといえば合っていなかったかも、、、?

本当、かっこ良くてお洒落な曲。ブラックミュージックの要素が合わないのかな?と最初は思っていたのだが、そうではないかも。

単純に菅野よう子の「Inner Universe」もコーネリアスの「GHOST IN THE SHELL ARISE」も楽曲にセンスオブワンダーがあった。

どちらも未来感やクールさ、格好良さ、つまりは攻殻機動隊っぽさにプラスして「なんだこの曲!?」という驚きがあった。「Fly with me」には。。。

いや、この曲もmillennium paradeもKing Gnuも大好きなのだけど!

 

オープニングの映像はちょっと微妙。攻殻機動隊ではおなじみの義体組立シーンで構成。そこに3Dプリンタを持ち込んだのは新しいと思えた。そのコンセプトを活かせるまでの映像としての出来ではない。

 

エンデイングの映像は酷い。クレジットでエンディング監督がキャラデザのイリヤ・クブシノブとなっていて、彼のイラストで構成されている。あまり詳しく知らないので適当な物言いになってしまうが、この人、動きのあるイラスト描けないのかな?

無表情棒立ちトグサはちょっと笑えるからいいとして、少佐のアクションがすべて死に体になっている。わざとそうしているのだとしたら意味がわからないのだが、何か込められた意味があるのだろうか?

キャラデザのイラストは魅力的なのでなんでこうなったのか謎である。軽くググったところ、バストアップのイラストばかり出てきて全身の動きのあるものは見つからなかった。やはり苦手なのかな?だとしたら別の演出を考えるべきだったのでは?

 

これが最後、ある意味で一番許せない部分。

それが各話のタイトルバックシーン。

手抜きにもほどがある。何だあのフォントは。

新人がパワポで作ったのかな?というでき。

 

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問題のタイトルバック (C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

第1話トグサ登場シーン。

民間警備会社勤めのトグサの登場シーンは、仮想通貨のサーバーに攻撃を仕掛けようとするところに乗り込み、これを捕えるシーン。

このシーンで犯人の男はなぜかブリーフ姿(笑)

 その演出が必要だったかは謎。神山監督なりのリアリティなのか?一体仮想通貨ハッカーにどんなイメージを持っているのだろうか?

トグサ君にも「はぁ? 何だよ、その格好は(やれやれ)」と呆れられる犯人の男。

エンディングで「ブリーフ男」とクレジットされているのが今作の見所である。「ハッカー」とかでよかったんじゃ。。。

 

 

 

 

新劇場版ヱヴァンゲリヲン「序」「破」「Q」鑑賞

Chapter.1 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 

2020年6月に公開が予定されていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開延期が発表されました。残念ではありますが世の中の状況を考えると仕方がない。これまで出口の見えない中でただひたすら待ち続けていた我々エヴァファンからすれば、公開が確定されているだけであと数年はおとなしく待ってられるというもの。

 

そして公開延期の知らせとともに、すでに公開されている新劇場版「序」「破」「Q」の三作品がYouTubeにて期間限定無料公開されることになった。これは大変太っ腹なありがたい救済だ。

昨年末に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開が6月と発表され、復習のためと年明けに「序」「破」「Q」をレンタルで見直したばっかりなんですが、こんなもんは何回観てもいいですからね。

残念ながら無料公開期間は終了してしまったが、改めて見直しての感想を。

 

◎「序」:リメイク作品として最高の第1作

2007年公開の新劇場版第1作目の作品。細かな設定の変更はあるものの、ほぼほぼ忠実にTVアニメシリーズの1話~6話までをデジタル作画でリメイクした作品。

ちなみにTVシリーズ新世紀エヴァンゲリオン」は全編セル作画であり、確か旧劇場版がセル画とデジタルが混在している作品だったはず。

公開当時、TVシリーズのVHS版とDVD版を揃え幾度となく見直していた自分にとって特に映像に関する不満もなく、古臭さも感じていなかったのだが(2020年現在になるとTVシリーズの映像はさすがに古さを感じてしまう)、新作の超作画・超映像に大感動し震え上がったのを覚えている。

 

今回改めて観ても「映像がすごい!綺麗!」と思えます。13年前の作品というのが信じられないクオリティです。

改めて、この作品の見どころはTVシリーズから超進化したラミエルですね。光沢感がアップし、それでいて透明感もアップしたその姿は非常に美しい。青空に浮かぶその姿には思わずうっとりしてしまう。

さらに攻撃時や防御時など活動の際に形状をくるくると変化させ、その表情の豊かさは非常に可愛らしい!

 

そしてエヴァ屈指の名シーンである「笑えばいいと思うよ」の綾波笑顔ももちろん新規カットに。この綾波笑顔はTVシリーズ版のあと劇場公開作品の「DEATH AND REBIRTH」でも修正されています。

「序」版を含めると3パターンになる訳ですが、「デスリバ」版のキラキラ萌え度高めの綾波笑顔が支持率高いかなと思いつつ、それに比べるとやや控えめな「序」版の綾波笑顔が個人的には一番しっくりきている。

 

◎「破」:個人的に好きになれない違和感

 

2009年公開の新劇場版第2作目。「序」がテレビシリーズを正当に映像進化させた作品であったのに対し、続く「破」ではかなりオリジナル展開が挟まれた。登場人物のキャラクター的変化や新キャラクター、話の筋書きにも大きく変更点が出され、またテレビシリーズのエヴァンゲリオンとは演出方法にも大きな変化が見られた。

 

そしてこの「破」であるが、何より世間の評判がかなりいい。

それは公開された当時からで、劇場公開翌日に映画館で見た時も、終演後周りの観客がみな賞賛の声を上げ、興奮気味に帰路についていたのを覚えている。この評価は現在でも変わらず、新劇場版内でも圧倒的に人気があるのがこの第2作目の「破」だ。

 

決して評価が低かったわけではない前作「序」、しかしどれだけ素晴らしいリメイクとはいえ、いわゆる総集編感は拭えない(個人的には十分なのだが)

それが「破」ではアニメシリーズの筋書きは踏襲されつつも、新作とも言える内容は確かに満足度が高いものだ。

また登場キャラクターがみな、少し人間的に柔らかく描かれたのも好感度が高い。あの碇ゲンドウですら、綾波やシンジに歩み寄ろうとするシーンが描かれるわけで。

 

そのキャラクターの微妙な描かれ方の変化の恩恵を一番受けたのは綾波レイだろう。シンジへの好意を表面化させ距離を詰める行動は、テレビシリーズでそういった描写に関しては塩対応されていた綾波ファンに刺さったのかなとは思う。

綾波が好きな人はあの「人間辞めてます」感や感情の見せないところにはまっていたのでは?とも思わなくもないのだが、可愛い綾波は確かに可愛い。

 

一方で割を食ったのは同じく柔らかい人間性を獲得した式波アスカ(アニメシリーズでは惣流)だろう。現在でも式波派と惣流派に別れた論争を目にすることはあるが、「アスカファン」にとっては惣流優勢とのイメージだ。

アスカファンにとってはあのツンツン感こそがアスカの魅力だと思う部分が強いのだろう。また、アスカ好きはアスカとシンジのペアリング好きも多い印象を受ける。

「破」においてアスカもシンジに対する好意を自覚、表現する描写も存在するが、綾波の気持ちを受けて一歩引く部分があり、サブヒロイン落ちした感が拭えない。つまりは逆に綾波がメインヒロインをがっつりやっているということでもある。

 

「序」においてヤシマ作戦をきっちり丁寧に描かれた綾波に対し、テレビシリーズ「アスカ、来日」からの「瞬間、心、重ねて」「マグマダイバー」をまるっとカットされたアスカは公式に干された感じがある。

アスカ好きにとって、この点は非常に残念であった。「序」の出来を以降、「アスカ、来日」「瞬間、心、重ねて」「マグマダイバー」の再映像化を「破」に求めていたのですから。。。

そして、何故だかキャラクター設定の調整の中で、テレビシリーズには存在していたアスカの巨乳設定もどこかに葬られてしまった。別にそこは重要なポイントではないのだが。

 

はっきり言うと自分の好みとして「破」はあまり好きではない。

それは推しであるアスカが干されたからと言う理由だけではなく。「これ本当にエヴァか?」と言う違和感があるのだ。ラストシーンのシンジが綾波を助けるシーンでその違和感は最高潮に達する。熱い。そう、全編通してエヴァらしからぬ熱血感が強いのだ。別に熱血がダメと言うわけではない。熱血ロボットアニメはむしろ大好きなカテゴリーでもある。ではエヴァが熱いのがダメかと言うとそうでもなく、そういうエヴァがあっていいと思う。ただ「破」で感じた違和感は熱さというよりは、「あれ、これエヴァだっけ?エウレカじゃなくて?」という感覚。

エウレカセブンっぽいのだ。

シンジ君はレントン化し、綾波エウレカ化しているのだ。

そもそもエウレカセブン自体がエヴァンゲリオンを強く意識して作られた作品ではあるのだが、「破」では逆転現象が起きたように錯覚してしまう。

ラストシーン、シンジが綾波を助けた後にそのまま月にハートマークを描いてしまうのではないかと心配してしまう程に。実際にはロンギヌス?カシウス?の槍が暴走した初号機を貫き、カヲル君が空から降ってくるという「破」では最もテンションの上がるシーンで締められるのだが。

 

個人的な感想として「この作品はこうあるべきだ!」という感想ってエゴでしかないし、ましてや世間の評価が高い作品にそういった批判をするのってダサいなと自覚はしている。結局は過去作品に縛られているだけで、頭が固いってことなんだと。しかしリメイク作品やシリーズ続編ものって元々の作品愛が強いほど「いやだ、ダメ、違う!」って、わかっていてもそうなってしまうんですよね。。。

制作側も「これですよね(ドン!)」とこちらの観たいものを作ってくれればいいのですが、制作側は制作側で「同じ事をするならやる意味がない」と、新たな挑戦を行ってきます。そんな中でもちろん素晴らしい、新しい価値ある作品が生まれたりするのですが、「破」に対してはなかなかジレンマを感じました。

 

はい。そして何より「エヴァはそうじゃないだろう!」と思ったのは、お話の部分以上に、演出の部分。

「破」では戦闘シーンでエヴァンゲリオンがめちゃくちゃ歪みます。

鶴巻監督お得意のって感じなのでしょうか? 「フリクリ」や「トップ2」、鶴巻監督は関係ないですが、同じく元ガイナックス出身の今石監督の「グレンラガン」「キルラキル」などで観られるアレです。パースが効いてグニャッと曲がる戦闘シーンは迫力もスピード感もありますし確かにかっこいいんです。

むしろ大好きです。

CGモデルによる完全剛性の戦闘シーンこそあまり好きではない。

ただ、エヴァンゲリオンは硬くいて欲しかった。これは完全に私のわがまま。

 

「破」でよかった部分は、マリの登場ですかね。本編見るだけでは何が何だかわからない、2号機にいきなりシンクロできる、裏コード知ってると完全に謎な存在ですが、あのキャラのノリ好きだし可愛いです。

実戦用プラグスーツを着ての「きっもちいい〜〜」のセリフとか。

 

「Q」:「起・承・転・結」の「転」

そして、2012年に公開された新劇場版第3作目の「Q」。こちらは超問題作として日本中のエヴァファンからハレーション、、、というかブーイングが起こった。

その原因の一つは事前公開された予告編とは全く違う本編だったこともあるだろう。「Q」の予告編ではエヴァンゲリオンが沢山出てくるし、戦闘シーンも豊富でワクワク感を掻き立てるかなり出来のいい予告編だった。(登山しているゲンドウ冬月ペアが気になり過ぎていた)

熱心なエヴァファンはこの予告編のみで色々と考察し、妄想を膨らませていた。そうして期待たっぷりに映画館に向かったところ、「予告は嘘でした〜」と何とも笑えないちゃぶ台返しを食らったのだ。

現在ではあの予告編は「破」と「Q」を繋ぐ間に起こった出来事では?と言われている。もしそちらの本編を見ることが叶うなら大変嬉しいのだが、まぁ、その可能性は限りなくゼロに近い。

と、まずは場外戦で思いっきり裏切られた私たちであったのっだが、本編が素晴らしい出来であったなら文句はない。しかしその肝心の内容が、、、よくわからなかった。

そう、全くわからなかったのだ。

一体何が起こっているのか、何が起こったのか、これからどうなるのか、今何をしているのか、もう何もかもわからなかったのだ。制作サイドは私たちに何かを伝えるということを完全に放棄している。「破」のラスト、熱血シンジ君がサードインパクトと引き換えにしてでもと助けた綾波との続きを一切提示しようとはしなかった。

まず、いきなり「破」から14年後という時間設定で話が始まり、その間シンジは初号機の中で眠っていたということになっている。シンジ自身もあのあと何が起こったのか、14年の間に何がどうなったのかわからない。私たちと同じ状況だ。だからシンジ君も私たちと同じく周りの人間に問う。「何が起こったの?」「綾波はどうなったの?」だが誰一人としてその問いに答えない。いや、答えろよ!

と、こんなところで見ている私とシンジ君のシンクロ率が100%となるのだが、その後もシンジ君(=私)はいらない子扱いされ「何もするな」と突き放される。

訳も分からないままにカヲル君が登場!し、親切なカヲル君は「破」のラストでニアサードインパクトが起きて人類のほとんどが死んで(?)しまったとシンジ君に伝える。さらに親切なカヲル君はこの世界をやり直す方法があるよとシンジ君を助けようとするのだが、カヲル君の計算違いで今度はフィフスインパクトを引き起こしそうになるシンジ君。「僕が何とかするよ。君は何も悪くないよ」と自分の頭を吹っ飛ばしてフィフスインパクトを止めるカヲル君。

え、、、カヲル君、君は何がしたかったんや!?!?

で終わるお話である。

 

うん。そりゃあ批判されるのも頷ける作品である。

ただ、当時見たときも、今改めて見てみても、私は「Q」が結構好きなのだ。

まず14年後という設定が出た時に、これは完全に新しいエヴァが始まった!と感じたところ。「破」は「序」に比べてかなり大きくオリジナル要素が加えられ、別の作品にはなっていたが、やっていることはテレビシリーズをなぞったものだった。それが「Q」は完全に未知の作品になっている。

結局はよく分からないっていうのが本音ではあるが、よく分からないからこそ、ヴンダー起動のシーンのワクワク感は半端ではなかった。何かが始まる感・何かが始まっている感をもりもり感じたのだ。

 

ラストシーンもいい。何やかんや憎まれ口を叩きながらもシンジを助け出すアスカ。そしてシンジのウォークマンを拾って二人に付いて行く綾波。3人が歩いていく後ろ姿はいよいよ最終章に向かう感がある。ここでシンジのウォークマンを無視しない綾波に、あれ?もしかしてこの綾波って「破」でシンジが助けた綾波?と期待もしてしまう。

 

そう、新劇場版は「序」「破」「Q」と、序破急をミスリードさせるが、4部作であって構造が起承転結になっている。「Q」は「急」ではなく「転」なのだ。続く「シン」へ向けて大きく物語を転換し、カタルシスへのエネルギーが十分に充填された作品なのではないかと思う。うん、やっぱり次が楽しみだ。

 

「Q」のアスカだが、色々言われているように、おそらく人間辞めている。14年越しに姿に成長がないのは「エヴァの呪縛」らしいが(アスカ以外のパイロット、シンジ・綾波・マリ・カヲルも姿が変わっていない。とはいえ、綾波は何人目かも分からないし、カヲル君は使徒だし、マリも元々人間なのか分からないのでサンプルはシンジとアスカだけだが)、眼帯の左目の発光やおそらくは防弾であろうガラスにパンチ一発でヒビを入れたり、エントリープラグの扉を引きちぎって投げ捨てたりと、怪力っぷりを発揮している。ただ14年間何やかんやでシンジを思っていた風のセリフや態度はなかなか健気で好感度高い。

 

マリは相変わらずいいキャラクターだ。結局マリの目的は何だか分からないが、シンジ君の境遇は理解しているようで、次作ではシンジとの接触をぜひ描いて欲しいものである。

 

さて、最終作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

公開延期となり、現在公開時期は発表されていないが、公開前におそらくあと一周は復習しようと思う。新劇場版鑑賞の流れで旧劇場版「Air/まごころを君に」も見直そうと思う。

現在Netflixが独占でテレビシリーズ、旧劇場版が視聴可能である。実はこのNetflixが独占というところに思うところがあるのだが、それは次の機会に話そうかと。

 

 

 

【アニメ感想】『ダーリン・イン・ザ・フランキス(ダリフラ)』19話感想と考察【謎】

流星モラトリアム

19話はフランクス博士の回想回という事で、APEはじめ作品世界の大前提となっていた謎の部分が結構説明された。

完全にエヴァの「ゼーレ魂の座」をなぞった形になってます。

フランクス起動実験に自分の嫁さんが犠牲になるシーンは完璧にエヴァを連想させるものでした。若き日のフランクス博士はなかなかかっこいい。

それで、今回明らかになった点とさらに深まった謎を整理しようと思う。

 

オトナはマグマ燃料の力を使い不老不死化した人類。生殖機能を持たない。

主人公たちパラサイトをコドモと呼ぶ、管理者的立場、支配者的立場であるオトナたち。作中ですでに不死を匂わされていたけど、今回で初めて「不老不死」である事が明言された。(もしかしたら既に言われてたかもですが。。。)

マグマ燃料を利用することで不老不死が可能になるとか、結講トンデモです。マグマ燃料スゲー。

で、人類はドンドン不死化していったと。その過渡期の事も少し語られます。

不老不死の施術を受けれるのは初めは特権階級のみだったとか。人類の不死化による人口増加に歯止めをかけるために出産を規制されたとか。

それっぽく説明される。

そして、不老不死の施術を受けた人類は生殖機能を失うと。

作中2035年時点で「人類の70%が不死化していて、残りも後2年で完了する」と語られた。

ただこの作中2036年時点でフランクス博士の嫁のカリナ・ミルザは出産を希望していると発言する。

つまり、2036年時点では制約はあるだろうが、出産は可能だったのだ。

 

となると、この世界の2036年にはまだ子供がいたという事になる。

マグマ燃料を用いた不老不死化は文字通り「不老不死」だ。

老い」とは「成長」と置き換えられるはずなんだけど、そのあたりの設定は語られていない。

「不老不死」施述を受けたとしても、肉体がピークに成熟するまでは「成長」するのか?

それとも「不老不死」施述には年齢制限みたいなのがあるのか?

もし後者とするのならば、主人公たちも施述を受ける事で「オトナ」になる事ができるのではと思ったりするのだが。

 

パラサイトと呼ばれるコドモたちは人造人間。

時は進んで2042年。さらにそこから時間が流れた時代。

フランクス搭乗には生殖機能を持ち、「O血球」を投与された男女ペアが必要と判明する。

「生殖機能を失った人類は、皮肉なことに新たな子供達を必要とした」

というセリフから、すでにこの時代ではほぼ全ての人類が不老不死化(生殖機能の喪失)している事が予想される。

そして、パラサイトとしてのコドモたちを作り始めるのだが、これは自然に産まれた子供ではなく人造のコドモなのだろう。

だた、このコドモたちは一体どうやって造られたのだろうか?

パッと思いつくのはクローンだが、それはどうなのだろう?

生殖機能を失った、不老不死化した人間のクローンが生殖機能を獲得するとは思いにくい。

さらに現実の分野では、クローンは生殖機能を獲得しないと何かで知った気がする(にわか知識)

いくらマグマ燃料がビックリスペックを持っていようと、さすがに生命をゼロから生み出す事は出来ないと思うのだが、だとしたら主人公たちは何者なのだろうか?

そのあたり、今後語られるのかが気になる。

 

叫竜文明の目的は?

フランクス博士が叫竜の姫に初めて会いに行くシーン。古い文明跡と評する場所に踏み込むが、人類文明よりも発達しているようにも描かれた。

その場所はやはりというか、地中のように思える。

元々人類以前に地上を支配していた可能性もあるが、マグマ燃料が地下資源であり、人類より先にマグマ燃料を管理していた文明と考えると、地上より、地下に文明を築く事も納得が行く。

人類が地上に文明を築く以前より、マグマ燃料を資源とした文明を地下に築いていたのではないだろうか?

ただ叫竜はマグマ燃料を資源とし、利用する者ではなく、叫竜=マグマ燃料という可能性の方が大きのですが。

ちょうどエウレカセブンでいうスカブとコーラリアンの関係なのだろうか?

 

ゼロツーはフランクス博士が持ち帰った叫竜の姫の髪から造ったクローン?

どうもそれっぽいですが、「叫竜の血を引く少女」ってところから、この語感からなんというか叫竜と人間のハーフ的なものを無意識にイメージしていたんですよね。

叫竜の姫とゼロツー似てないし。

この作品は最初から片翼とか、ペアだとか、二つで一つ、1/2というのが作品イメージとして取り上げられているからゼロツーも完全に叫竜に寄った存在ではなく、人間の部分を持っていると思うんですよ。

じゃあゼロツーの半分の遺伝情報は誰のものだってなると、フランクス博士の嫁で、博士が実験で死なせてしまった妻の遺伝情報を叫竜の姫のものと混ぜて造った、、、とか、そういうロマン路線があってもいいんだけど、ゼロツーは嫁さんに似てないんですよね。

どうも違うっぽいですね。

 

フランクス博士は結局子供を作らなかったのか?

フランクス博士のロマンス部分といえば、結局嫁さんのカリナ・ミルザとは子供を作らなかったのでしょうか?

カリナ・ミルザが妊娠、出産をしたような描写はないのですが、物語のお約束というか、ここまで生殖機能が作品のコアとなり、またカリナ・ミルザの出産希望のセリフがあって子供作りませんでした~はちょっとアリなの? と思います。

どうもフランクス博士の若い頃の雰囲気(髪型だけ?)がヒロに似ている気がするのですが、フランクス博士の年のとり方を見ると、時間の辻褄が合わない気がします。(ヒロが若すぎると)

エヴァンゲリオンエウレカも、親子というのは結構キーとなる要素だったので、ダリフラでもその辺りの要素を盛り込んで来てもおかしくないのですが、現状ピンとくるものはないですよね。

ただ、この親子要素、全くないとは思っていないので、今後何か明らかになるかもしれません!

 

 

masha01.hatenablog.com